#ジャンル:ドラマ
#トーン:爽やか
#登場人物:高校生
「久しぶりだな、グラウンドに立つの」
カナタは小さく伸びをしながら、トラックの真ん中を見つめた。夕陽が低く傾き、オレンジ色の光が空を染めている。夏の終わりの空気はまだどこか蒸し暑さを残していた。
「準備はいいか?」
ソウタの声に振り返ると、陸上部時代と変わらない笑顔がそこにあった。ソウタは高校最後の大会で全国大会に進んだエースだ。それに比べてカナタは中堅どまり。大会後は受験勉強に集中すると決めて、部活を引退していた。
「正直、走るの久々すぎて怖いくらいだな」
「気にすんな。タイムなんか測らないからさ。ただ全力で走る、それだけだ」
ソウタが言う「全力」は特別だ。彼のように走り続ける覚悟を持つ人間を前にすると、自分が何かを逃げているような気がしていた。
カナタは靴ひもをきつく結び直した。ずいぶん久しぶりに履いたスパイクの感触が心地よくもあり、どこか重たくもある。
二人並んでスタートラインに立つ。聞こえるのは蝉の声と風の音だけだった。
「よし、いくぞ!」
ソウタの声とともに地面を蹴り上げた瞬間、カナタの頭の中は空っぽになった。
風を切る音と、鼓動の速さだけが全身を支配する。どれだけ遅くても関係ない。ただ、目の前に伸びるトラックの白い線を追い続ける。それがこんなにも心地よいものだったとは忘れていた。
ゴールにたどり着くと、カナタは膝に手をつきながら息を切らせた。振り返ると、同じように呼吸を整えているソウタが笑っている。
「どうだ? いいだろ、走るってのは」
「まあな。やっぱ、楽しいよ」
ソウタは青空を見上げながら、どこか誇らしげに言った。
「俺さ、大学でも陸上続けることにしたんだ。きつい練習があるのは分かってる。でも、走りたいんだよな」
その言葉には一切の迷いがなかった。カナタは、彼の瞳の中にある揺るぎない信念に触れた気がした。
「俺も決めたよ。受験を全力でやる。そして大学に入ったら、また何かに挑戦してみたい」
ソウタが笑って肩を叩く。「それでこそカナタだよ」
夕陽が沈み、グラウンドに影が広がる。その中で、二人の笑い声が空に溶けていった。