霧の中の追憶

SF

#ジャンル:SF
#トーン:ミステリアス
#登場人物:青年と老婆

霧が街を覆い尽くす日は、記憶が一つ消える。人々はその現象を「白の病」と呼んでいた。誰もが何かを忘れる。誰かの名前だったり、昨日食べた料理の味だったり。それでも日々を営む人々の中で、記憶をすべて失ってしまう者もいた。

ユウマが目を覚ましたとき、彼は自分の名前すら思い出せなかった。目の前には見知らぬ街が広がり、頭の中は空っぽだった。ただ、胸ポケットには小さな銀色の鍵が入っていた。それは唯一の手がかりだったが、何を開ける鍵なのかも分からない。

霧に包まれた街をさまようユウマの目に、道端に腰掛ける老婆が映った。彼女の目は鋭く、彼を見るなりにやりと笑った。「その鍵を持っているってことは、扉を探しに来たんだね?」

「扉?」

老婆は肩をすくめる。「街のどこかに、その鍵にぴったり合う扉がある。開けることができたら、自分が誰なのか分かるさ。ただし……」

「ただし?」

「すべてを思い出しても、必ずしも幸せになれるわけじゃないよ」

ユウマは答えず、街を歩き始めた。霧の中で方向感覚を失いながらも、鍵を握る手に力を込めた。歩けば歩くほど、彼の耳には奇妙な音が届く。泣き声や笑い声が入り混じり、それが誰のものかも分からない。ただ、どれもがどこか懐かしく、心の奥に触れるような感覚を覚えた。

霧の中でどれほど歩いただろう。ようやくユウマが見つけたのは、錆びついた古い倉庫だった。目の前の扉に鍵を差し込むと、まるでそれを待っていたかのように鍵穴は滑らかに回り、扉がゆっくりと開いた。

そこに広がっていたのは、ユウマの失われた記憶そのものだった。子供の頃の家、家族の顔、笑い合う友人たち。そして最後に――霧に包まれ、姿を消した妹の顔が浮かび上がった。

「ユイ……」名前を呼んだ瞬間、涙があふれた。

「思い出したかい?」老婆の声が背後から聞こえた。

「これが俺の過去なんだな」

「そうだよ。さあ、選びな。記憶を抱えて生きるか、それともまた忘れるか」

ユウマは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。そして一歩踏み出すと、霧の中に朝の光が差し込んだ。