小さな喫茶店の奇跡

ドラマ

#ジャンル:ドラマ
#トーン:心温まる
#登場人物:少年

街の片隅にある喫茶店「ふわり」は、どこか懐かしい雰囲気に包まれた場所だった。木製のドアを開けると、コーヒーの香ばしい香りがふわりと漂い、心地よいピアノの音色が店内を満たしている。

店主の穂乃香は、いつも穏やかな笑顔でカウンターの向こうに立っていた。彼女の作るコーヒーは、ただの飲み物ではなく、不思議と心を癒す魔法のような力を持っていると評判だった。

ある秋の午後、店のドアが控えめに開いた。

入ってきたのは、中学生くらいの少年だった。彼は短い髪をくしゃくしゃにし、制服のシャツを無造作に羽織っていた。穂乃香が「いらっしゃい」と優しく声をかけても、少年はうつむいたまま黙って席に座った。

「何にしましょうか?」

少年は無言でメニューを眺め、しばらくするとポツリと呟いた。

「……ホットコーヒー。」

穂乃香は微笑み、ゆっくりと豆を挽き始めた。コーヒーミルがリズミカルに回る音が店内に心地よく響く。彼女は丁寧にドリップし、香り豊かな一杯を目の前にそっと置いた。

「どうぞ、あったかいうちにね。」

少年はためらいながら、カップに口をつけた。そして、ほんの少しだけ表情が緩んだ。その変化を穂乃香は見逃さなかった。

「苦くない?」

「……大丈夫。」

それからしばらく、少年は黙ったままカップを両手で包み込んでいた。穂乃香は何も聞かず、ただ静かに隣の席を拭いたり、窓の外を眺めたりしていた。

やがて、少年が小さく呟いた。

「……母さんが、コーヒー好きだったんです。」

穂乃香は手を止め、少年の瞳を見つめた。

「そっか。お母さんも、こんな香りを好きだったのね。」

少年はこくんと頷いた。そして、少し間を置いて、ぽつりぽつりと話し始めた。

最近、母が入院してしまい、家は静まり返っていること。父は仕事で忙しく、家にいると寂しさが押し寄せてくること。そんな時、ふと母と一緒に訪れたこの店のことを思い出したこと——。

穂乃香は黙って頷きながら、少年の言葉を静かに受け止めた。

「コーヒーを飲むとね、不思議と心が落ち着くの。香りや温かさが、そっと包んでくれるのよ。」

少年はカップの中をじっと見つめながら、ぽつりと笑った。

「……確かに。少しだけ、落ち着いたかも。」

その日以来、少年は時々店を訪れるようになった。最初は一人きりで静かに過ごしていたが、次第に穂乃香に少しずつ話しかけるようになった。学校のこと、好きな音楽のこと、そして母の容態のこと——。

ある日、少年はふと呟いた。

「ありがとう……ここのコーヒー、すごく好きです。」

穂乃香は柔らかく微笑み、「またいつでもおいで」と答えた。

それから数か月後、少年は母と一緒に店にやってきた。母はまだ少し顔色が優れなかったが、少年が支えるようにそばに立っていた。

「お母さん、ここのコーヒー、すごく美味しいから。」

母親は驚きながら微笑み、「じゃあ、いただいてみようかしら」と言った。

穂乃香は、二人のために心を込めてコーヒーを淹れた。店内には、静かに優しい時間が流れていた。

その日から、「ふわり」は少年と母の大切な場所となり、少年の表情は少しずつ明るさを取り戻していった。

喫茶店の奇跡は、いつもそっと、心を温めてくれる。