さすらいの終着駅

ドラマ

#ジャンル:ドラマ
#トーン:温かみのある
#登場人物:旅人

 旅を続けて十五年。世界を巡り、幾つもの国境を越えてきた圭介は、ふとした気まぐれで日本に戻ってきた。帰国といっても、特に帰るべき場所があるわけではない。成田に降り立った彼は、電車を乗り継ぎ、行き先も決めぬまま北へと向かっていた。

 そうして辿り着いたのは、日本海に面した小さな港町。観光地とも言えない、ただ漁港が広がる静かな町だった。午後の陽が傾き、冷たい潮風が頬を撫でる。何気なく歩いていると、ふと目に止まったのは、年季の入った木造のカフェだった。白いペンキが剥げかけた看板には、かすれた文字で「終着駅」と書かれていた。

 店の扉を開けると、鈴の音が小さく響く。店内には客の姿はなく、奥のカウンターには白髪の老婦人が立っていた。彼女はゆったりとした動作でカップを磨きながら、微笑んだ。

「いらっしゃい。あんた、ずいぶん遠くから来たねぇ」

 どこか懐かしさを感じる声だった。圭介は驚きながらも、適当に返事をし、カウンターの椅子に腰を下ろす。

「コーヒーを」 「はいよ」

 しばらくして運ばれてきたコーヒーは、深く濃い香りがした。一口飲むと、体の奥底まで温まるような気がした。

「旅の人かい?」 「まあ、そんなところです」 「どこへ行くつもり?」

 その問いに、圭介はふと返答に詰まった。いつもなら、次の目的地を考えているはずだった。しかし、このときばかりは何も浮かばなかった。

「……わからない」

 老婦人は静かに微笑んだ。

「ここはね、旅の終着駅なんだよ。さすらう者が最後に行き着く場所さ」

 圭介は思わず苦笑する。

「ずいぶん大げさですね」 「そんなことはないさ。ほら、これを見てごらん」

 老婦人が指差した壁には、世界各国の紙幣が額に入れられて並んでいた。ドル、ユーロ、ルピー、ペソ、見たこともない通貨もある。それぞれに名前が添えられていた。

「ここに残った人たちの名だよ。みんな、旅を続けてきて、最後にここで落ち着いたんだ」

 圭介は額を眺めたまま、何とも言えぬ気持ちになった。これまでの旅は、何かを探してのことだったのかもしれない。しかし、未だにそれが何なのかはわからなかった。

「君も、そろそろ落ち着く時期なんじゃないかい?」

 老婦人の声は優しかった。その言葉が、圭介の胸に染み入る。

「……そうかもしれない」

 そう答えたのは、旅を始めてから初めてだった。ここで暮らす自分の姿を想像した。朝は海を眺め、昼はこの店でコーヒーを淹れる。夜は潮騒を聞きながら眠る。そんな日々も、悪くないかもしれない。

 圭介は、ゆっくりとコーヒーを飲み干した。

 旅の終わりと、新しい人生の始まりが、ゆっくりと重なり合うのを感じながら。