#ジャンル:ファンタジー
#トーン:温かい
#登場人物:少年
町の片隅に、夜だけ開く不思議なカフェがある。
名前は「ルミエール」。灯りを意味するその名の通り、月が昇るとともにひっそりと扉が開き、柔らかなランプの光が訪れる者を迎え入れる。
ここでは、ただのコーヒーや紅茶ではなく、「その人が本当に必要としている一杯」が出されると言われていた。
***
「マスター、こんばんは」
カフェのドアを開けたのは、少年リオだった。まだ十歳にも満たないくらいの小柄な少年だが、カウンターの端の席は彼の定位置だった。
奥に立っていた店主のルカは、穏やかな笑みを浮かべる。白髪交じりの髪に、少しだけ古びたエプロン。静かで落ち着いた佇まいが、このカフェそのもののようだった。
「リオ、今夜はどんな気分だい?」
リオは椅子によじ登りながら、ぎゅっと拳を握りしめた。
「……大切な人を忘れない方法が知りたいんだ」
ルカは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに優しく微笑んだ。
「それはまた、難しい相談だね」
リオは頷いた。
「お母さんがね、もういないんだ。ずっと病気だったんだけど……だから、忘れたくないんだ。でも、時間が経つとだんだん声とか、笑った顔とか、思い出せなくなりそうで……怖いんだ」
カウンターの向こうでルカは静かに話を聞き、やがて「ちょっと待っていて」と奥へ消えた。
***
数分後、彼が運んできたのは、小さなカップに注がれた琥珀色の紅茶だった。
リオは首を傾げる。
「これ、なに?」
「『星灯りのティー』さ」ルカは優しく言った。「飲んでごらん」
リオはそっとカップを口に運ぶ。温かく、ほんのり甘い。口に含んだ瞬間、ふわりと懐かしい香りが鼻を抜けた。
――あ、お母さんの匂いだ。
いつも夜、絵本を読んでくれたときに感じた、優しいハーブの香り。包み込むような温かさが、喉から胸の奥へと染み渡っていく。
「……すごいね、これ」リオは目を丸くした。「お母さんのこと、思い出せたよ」
ルカは静かに微笑んだ。
「人の記憶は不思議なものさ。匂いや味、音や感触……どこかに必ず、思い出の鍵が隠れているんだ。忘れてしまうのではなく、思い出せるようにしておけばいい。だからね、リオ――」
ルカはカウンター越しにリオの手に、小さな紅茶の葉が詰まった瓶を渡した。
「この香りを覚えておくといい。きっと、いつでもお母さんのことを思い出せるよ」
リオはそれをぎゅっと握りしめた。まるで、お母さんの手の温もりを感じるように。
***
その夜、ルミエールの灯りは、いつもより優しく町を照らしていた。
星がまたたく空の下、小さな奇跡がそっと生まれた夜のことだった。