君に追いつく夏

恋愛

#ジャンル:恋愛
#トーン:青春
#登場人物:高校生

 水の中を突き進む。青く澄んだ水面が、手の動きに合わせて揺れる。

 颯太は必死だった。プールの底の黒いラインを追いかけながら、隣のレーンを意識する。そこにいるのは、美咲。幼馴染であり、そして自分の最大のライバルだ。

 小さい頃からずっと競い合ってきた。けれど、結果はいつも同じだった。

 「また、負けたね」

 美咲はプールサイドで水を払うと、涼しげな笑顔で言った。颯太は肩で息をしながら、悔しさを滲ませる。

 「……くそっ」

 県大会を目前に控えたある日の練習後、美咲がふと呟いた。

 「ねえ、颯太」

 「ん?」

 「もし、私が勝ったら……何でも言うこと聞いてくれる?」

 その言葉に、颯太は驚いて目を見開いた。

 「……は? 何それ」

 「そのまんまの意味だよ。面白くない?」

 美咲はイタズラっぽく笑う。その表情に、颯太はどこか挑発されるような気がした。

 「いいよ。でも、もし俺が勝ったら?」

 「そしたら、私が何でも言うこと聞いてあげる」

 「本当に?」

 「うん。約束」

 美咲は颯太の差し出した小指に、自分の指を絡めた。その一瞬、彼女の笑顔がどこか眩しく見えた。

 ──負けられない。

 それからの練習は、今まで以上に厳しく、そして熱を帯びたものになった。何度も水をかき、何度もターンを繰り返し、息が切れるまで泳ぎ続けた。

 そして迎えた県大会の日。颯太はスタート台に立ち、深呼吸をする。美咲が隣で笑う。

 「負けないよ」

 「それはこっちのセリフ」

 ピストルの合図とともに、水しぶきが上がった。

 水の中では何も聞こえない。ただ、自分の心臓の鼓動と、腕を回す感触だけ。必死に水をかき、全力で蹴る。最後のターン、ゴールまであと少し。

 ──届け。

 手が壁に触れた瞬間、審判の笛が鳴る。颯太は息を切らしながら、電光掲示板を見た。

 「……勝った?」

 ほんのわずか。だが、確かに勝った。

 プールサイドで立ち上がると、美咲が呆然とした顔でこっちを見ていた。こんな表情の彼女を見るのは初めてだった。

 「……やるじゃん」

 それだけ言って、美咲は少し笑った。

 颯太はタオルを肩にかけながら、美咲の前に立つ。

 「なに?」

 「今度は俺のお願い聞いてよ」

 「え?」

 「一緒に、花火大会行こう」

 美咲は目を丸くした。しばらくして、照れたように目をそらし、ぽつりと呟く。

 「……いいよ」

 夏の終わりの夜、花火が二人の頭上で弾ける。その音に負けないくらい、颯太の心は高鳴っていた。