#ジャンル:ドラマ
#トーン:懐かしい
#登場人物:少年
潮騒が耳を満たし、頬を撫でる風が潮の香りを運んでくる。白い砂浜を駆ける二つの影が、波打ち際で寄せては返す波と戯れていた。
「ほら、航! ちゃんとついてきてよ!」
「待てって、夏美!」
幼い頃からこの海で遊び、毎年の夏休みに再会していた航と夏美。今年も変わらず、二人は海の家の前で待ち合わせ、砂浜を駆け、海に潜り、いつものように無邪気に笑い合っていた。
だが、今年の夏は違った。
夕暮れが近づき、海の色が橙色に染まり始めた頃、夏美がふいに立ち止まった。航もそれに気づき、隣に並ぶ。
「航……私ね、この町を出ることになったの」
一瞬、潮風が止んだように感じた。航は思わず夏美の顔を見つめる。
「……なんで?」
「父の仕事の都合で、来月には引っ越すの」
夏美は波打ち際に目を落とし、小さく笑った。しかし、その笑顔がかえって痛々しく映る。
「そんな……」
航は言葉を探したが、見つからない。いつものように「また来年も会える」と思っていた。だが、それが叶わないかもしれないと知った途端、胸の奥が締めつけられるようだった。
「嫌だ……行かないでよ」
航の声は掠れていた。だが、夏美はそっと首を振る。
「ごめんね。でも、仕方ないんだ」
沈黙が落ちる。二人の間を波がさらっていく。
やがて、航はゆっくりと口を開いた。
「じゃあ……約束しよう」
夏美が驚いたように顔を上げる。航は夕日に染まる海を見つめながら、静かに言葉を続けた。
「来年の夏、またここで会おう」
夏美の瞳が揺れる。
「でも……」
「来れるかどうかなんて、今は分からなくていい。ただ、約束しよう。おれは、ここで待ってるから」
航の言葉に、夏美は少しの間目を伏せた後、小さく微笑んだ。
「……うん、約束」
二人は互いの小指を絡める。潮風がそっと吹き抜け、夕日の光が海に溶けていく。
その夏の終わり、夏美は町を去った。
そして——
翌年の夏、航は約束の場所に立っていた。波は変わらず岸を撫で、潮の香りはいつものように夏を知らせる。
しかし、夏美の姿はなかった。
どれだけ待っても、どれだけ目を凝らしても、あの見慣れた笑顔は現れなかった。
「……やっぱり、無理だったのかな」
航はぽつりと呟き、空を仰ぐ。
だが、その瞬間——
「航!」
懐かしい声が波音を裂いた。驚いて振り向くと、そこには、砂浜を駆ける夏美の姿があった。
航は目を見開き、そして、次の瞬間、駆け出した。
二人の影が夕日に伸びる。
約束の夏が、再び始まった。