#ジャンル:日常
#トーン:爽やか
#登場人物:大学生
朝の空気は少し冷たく、心地よい。ペダルを踏むたびに、風が頬を撫でる。
優斗の朝は、決まって同じリズムで始まる。朝食を取り、カバンを肩にかけ、自転車に跨る。大学までの道のりは約二十分。住宅街を抜け、緩やかな坂を上り、大通りへ。信号待ちの間にイヤホンを耳にはめると、好きなプレイリストが流れ始める。
しかし、その日、彼は気づいてしまった。
前方、数メートル先にいる女性の姿。黒いスポーツバイクに跨り、淡い色のウインドブレーカーを着た彼女は、まるで時間を合わせたかのように、同じ道を走っていた。
特に速すぎるわけでもない。遅すぎるわけでもない。絶妙な距離を保ちながら、彼女は淡々とペダルを回していた。
(……あれ、前からいたっけ?)
何気なく視線を向けると、ちょうどその瞬間、彼女がふと後ろを振り返った。
目が合う。
驚いて目をそらし、ペダルを強く踏み込む。だが、速度を上げるのも何か違う気がして、すぐに元のペースに戻した。
それからだった。
彼女の存在が、気になり始めたのは。
翌日も、またその翌日も、彼女は同じように自転車を走らせていた。朝の光の中、ブレずに一定のペースを保ちながら、どこか心地よいリズムで。
意識すると、こちらの足取りまで変わる。ペダルが軽くなり、風が少しだけ違って感じられた。
(名前も、どこへ行くのかも知らない。でも、たぶん、俺と同じようにこの道を日常にしている人なんだろう)
すれ違いもしなければ、話しかけることもない。ただ並走するだけ。それなのに、不思議と心が弾んだ。
そして、ある朝——
優斗がいつもの信号で止まったとき、隣に彼女が並んだ。
ちらりと横を見ると、彼女もこちらを見ていた。
「……おはようございます」
驚いた。まさか声をかけられるとは思っていなかった。
「えっ……あ、おはようございます」
言葉が出遅れた。彼女はふわりと笑う。
「いつも、同じ時間ですね」
「あ、はい……えっと、もしかして、大学?」
「ええ。でも、たぶん、違う学部だと思います」
信号が青に変わる。
「じゃあ、また」
そう言い残し、彼女は軽やかにペダルを踏んだ。優斗も慌てて後を追う。
日常のリズムが、少し変わった瞬間だった。
(名前……聞きそびれた)
でも、きっとまた明日も会えるだろう。
風が、どこか優しく吹いていた。