朝焼けのランナー

ミステリー

#ジャンル:ミステリー
#トーン:緊張感
#登場人物:ランナー

薄桃色の空が、静かに夜を追いやる頃。麻衣はその橋のたもとに立っていた。

毎朝5時すぎ、大学近くの川沿いをジョギングするのが日課だった。決まって同じタイミングで、向こうから走ってくる男がいた。無精ひげに、無地のランニングウェア。顔を交わすことはないが、会釈だけは毎回きちんとしてくれる。その一瞬の律儀さが、なぜか印象に残っていた。

だが、ある朝を境に男はぱったり姿を消した。

偶然かと思ったが、一週間経っても現れない。不安と好奇心が入り混じるなか、麻衣はいつも彼が来ていた方向へ走ってみた。人けの少ない小道を抜けると、川にかかる細い歩行者専用の橋が見えた。古く錆びつき、普段は柵で閉ざされている。

そんなある日、ランニング中に一枚の紙切れを見つけた。風に舞って草むらに引っかかっていたそれは、誰かの落とし物のようで、こう書かれていた。

「午前4時44分――その時間にだけ開く」

もしかして、あの男のもの?

翌朝、麻衣は目覚ましを三つセットし、まだ夜の気配が濃い時間に橋へ向かった。柵は、まるで約束を守ったかのように、静かに開いていた。

渡った先には、誰もいなかった。ただ、空気が違っていた。音が遠ざかり、時間が止まったかのような静寂。橋を越えた草むらの中に、小さな廃墟がぽつんと建っていた。扉は外れ、床には雨に濡れた日記帳が落ちていた。

それは、あの男のものだった。

「この橋の先には、ある“空間”が存在する。夜と朝の狭間にだけ開く扉。そこに入った者は、二度と戻らないという噂がある」

日記は、まるで都市伝説のような記述に満ちていた。だがページを追うごとに、男の言葉は熱を帯び、最後にはこう締めくくられていた。

「明日、確かめに行く。もし戻らなかったら、この記録が唯一の手がかりになる」

それが最後のページだった。

麻衣はすぐに警察に届けたが、「失踪者としての証拠がない」と取り合ってもらえなかった。

その日から、彼女の朝は変わった。誰に告げるでもなく、毎朝4時半に目を覚まし、橋へと向かう。だが、柵は閉ざされたまま。あの日のようには開かない。

それでも麻衣は諦めなかった。あの男は、消えたわけじゃない。きっと、橋の向こうの「どこか」にいる。そう信じながら、今日もランニングシューズの紐を結ぶ。

次に扉が開く、その時まで。