潮風に手紙をのせて

恋愛

#ジャンル:恋愛
#トーン:爽やか
#登場人物:青年

優菜は、ただ静かな時間が欲しかった。

都心の喧騒に疲れ、気づけば南国の島の航空券を予約していた。地図にすら載らないような小さな島。白い砂浜、エメラルドの海、鳥の声、潮騒。それらすべてが、彼女の心のざわめきを溶かしていった。

島の小道を歩いていると、潮風に誘われるように、小さなカフェを見つけた。木造のテラスに咲くブーゲンビリアが印象的で、まるで時間が止まったかのような空間だった。

そのカフェを営んでいたのが、海翔だった。

年齢は優菜と同じくらい。優しく控えめな笑顔を浮かべる彼は、島の風景に溶け込むように自然体だった。コーヒーを淹れる手つきは丁寧で、言葉数は少ないが、時折見せるまなざしにどこか哀しみが宿っていた。

それが気になって、優菜は次の日も、そのまた次の日もカフェを訪れた。

「毎年、この季節になると手紙が届くんだ」

ある日、ふいに海翔がそう語り出した。

「差出人の名前も、住所もない。封筒の中には短い手紙が一通だけ、『また来年、会えたら』って書いてある」

「誰から?」

「分からない。でも、もう七年目になるんだ。律儀に、同じ日、同じ筆跡で」

それはまるで、誰かを待ち続けているような話だった。けれど、海翔は手紙の中身を一度も読まないという。ただそっと飾り、眺めるだけ。

「読むと、終わっちゃう気がしてね。届くことが、もう習慣になってる」

その言葉には、過去を手放せない誰かの気配があった。優菜はそれ以上、聞けなかった。

旅の終わりが近づいたある日。カフェには潮風と、少し湿った夏の香りが漂っていた。帰り際、海翔が小さな封筒を差し出した。

「これ、君に」

封筒の中には、島の写真と、一筆の手紙。

『君が来たことで、潮風がまた違う香りを運んできた。ありがとう。君がこの島を思い出したとき、いつでも戻ってこれるように、このカフェはここにある』

優菜はその言葉を何度も読み返し、胸にしまった。

東京に戻った日常は、前と変わらないはずだった。けれど、ふとした瞬間に思い出す。ブーゲンビリアの赤、波の音、そして海翔の眼差し。

ある朝、優菜は一通の手紙をポストに投函した。宛名も名前も書かず、ただ一言だけ。

『また来年、会えたら』