時間銀行

SF

#ジャンル:SF
#トーン:未来的
#登場人物:青年

「あなたの寿命、買い取ります」

その広告が街に溢れたのは、たった数年前のことだった。クロノバンク──“時間”を通貨として扱う新興企業は、医学と金融の境界を越えた。人間の寿命を数値化し、売買可能にする技術。それは、現代社会における格差を一気に拡張させる新しい通貨制度の幕開けだった。

契約者の一人、ミナトはその波に乗った。貧しい家庭に生まれ、奨学金も足りず、夢だった創作の道を諦めかけていた彼は、クロノバンクの支店で「寿命の一部」を売却した。25年分。健康な青年の人生の半分近くを切り売りし、手にしたのは億単位の“時間通貨”だった。

「これで、すべてが変わる」

ミナトは時間で家を買い、出版資金を得て小説家としてデビューした。彼の物語は次々とベストセラーとなり、彼は一躍時代の寵児となった。高層ビルの最上階に事務所を構え、人工知能が管理するライフプランで生活のすべてが最適化されていた。

だがある日、彼は気づく。

人々の“速度”が、明らかに狂い始めていたのだ。

街を歩けば、明らかに時間の流れが遅い者と、異常なほど早く動く者が混在している。老人のようにゆっくりと話す若者。10秒で1000字をタイプする作家。時間を“持っている”者は、速く、美しく、永く生きる。持たざる者は、劣化し、鈍化し、早く死んでいく。

「偏ってる……世界の時間が、偏っているんだ」

クロノバンクは、時間を操作することで“階層”を作り上げた。金持ちは時間を買い、若さと命を延ばす。貧しい者は、短命を代償に生きるしかない。ミナト自身も、契約によって残された寿命は“あと10年”。彼の時間は、成功の代わりに縮まっていた。

そんなある日、かつての友人・ユウタが現れる。彼は時間を売らず、地道に働いていたが、重度の“時間欠乏症”を発症していた。老化は進み、30代にして70代の身体。ミナトに言った。

「お前の小説を読むのが、俺の唯一の楽しみだった。でも……もう、時間がないんだ」

その言葉に、ミナトは震えた。

自分の成功は、誰かの命の上に成り立っていた。

彼はクロノバンクの本社へと向かう。“時間返還契約”を結ぶためだ。だが、その手続きには莫大な“違約料”が必要だった。自らの時間だけでは足りない。彼は、自分が稼いだすべての通貨を投げ打ち、さらに追加で寿命を担保にする契約を交わした。

「残り……5年です」

担当者は事務的に言った。

それでもミナトは満足だった。ユウタの時間が、少しでも延びるのなら、それでいい。

数日後、ユウタの身体は改善し始めた。彼は驚き、泣き、そして言った。

「馬鹿だな、お前……でも、ありがとう」

ミナトは小さく笑った。

5年。それは短いようで、無限にも思える時間だった。彼は静かに筆を取り、最後の物語を書き始めた。

タイトルは《時間銀行》。

それは、命の価値を問う、彼自身の告白だった。