カーフェリーの甲板には、潮風が優しく吹いていた。
夏の終わり、大学生の蓮は久しぶりに故郷の島へ帰る途中だった。東京の喧騒から離れて、わずか三時間の船旅。白い波と青空を眺めていると、胸の奥がじんわりとほどけていく気がした。
遠くから聞こえるカモメの声を聞きながら、ふと隣に視線を向けた瞬間、蓮の心臓が跳ねた。
そこにいたのは、アヤだった。
淡いブルーのワンピース、少し短くなった髪。間違いない。中学の頃、文通を交わした相手。顔を合わせたことはなかったが、文字だけのやりとりは、不思議と心を近づけた。
「あの……もしかして、蓮くん?」
アヤが先に声をかけてきた。やっぱり、彼女も気づいていた。
「……久しぶり、アヤ」
自然と、二人は並んでデッキのベンチに腰を下ろした。
会話はゆっくり、でも途切れることはなかった。
「覚えてる? 最後の手紙、返せなくてごめんね」
「ううん。俺も、引っ越してばたばたしてて……でも、ずっと気になってた」
アヤは小さく笑った。
「中学生だったのに、手紙に“もし会えたら、港で待ってる”って書いたの、ちょっと恥ずかしかったよね」
「……覚えてるよ。あのとき、本当に行こうと思った。でも、行けなかった」
「私も。行ったけど、やっぱり怖くて、船が来る前に帰っちゃった」
静かな波の音が、ふたりの間の空白を埋めてくれる。
蓮は、ポケットから一枚の紙を取り出した。
「これ、持ってたんだ。最後の、出せなかった手紙」
それは、大学に入る直前にふと書いたものだった。会えなかったこと、文通が途絶えたこと、それでも感謝していること。そして——また、会いたいということ。
アヤはそれを受け取り、ゆっくりと目を通した。読み終えると、彼女は目を細めた。
「……ありがとう。こんな形でも、届いてよかった」
そして、アヤもバッグから封筒を取り出した。
「私も、持ってた。書いたけど出せなかった、返事」
蓮は驚いてそれを受け取った。封筒の裏には、あの日と同じ筆跡で、ひとことだけこう書かれていた。
《また、港で会えたら》
船はゆっくりと目的地の港へ近づいていた。
再会からわずか三時間。けれど、ふたりの間に流れた時間は、それ以上のものを確かに育てていた。
「次、いつ東京に戻るの?」
「来週。でも、もう少し島にいようかなって思ってる」
「そっか。私も、夏休みが終わるまでこっちにいる」
視線が重なり、照れくさいような、嬉しいような沈黙が流れる。
船が接岸し、アナウンスが流れた。
「じゃあ……また、会おう。今度は港じゃなくてもいい」
「うん。でも、港も悪くないよ。海の上って、不思議と素直になれる」
ふたりはそれぞれの荷物を背負って、ゆっくりと船を降りた。
けれど、後ろを振り返ると、まるでまだ波の上にふたりの言葉が漂っている気がした。
——波間に添えた手紙は、ようやく相手の手に届いたのだった。