【短編小説】屋上ノイズ

SF

築50年の古いマンション「ミナト荘」。その最上階で、夜な夜な不可解な“音”が鳴るという噂があった。

それは、午前2時ちょうどになると屋上から発せられる微弱な電磁ノイズ。近隣住民のテレビやラジオが一瞬だけ乱れ、誰もいない屋上から「ビー…ビー…ピィ……」という不規則な電子音が聞こえる。

管理人の娘・ツバサは、その音に惹かれていた。

父が管理するこのマンションに生まれ育ち、幼いころから屋上が彼女の“秘密基地”だった。だが、近年は老朽化で立入禁止となり、鍵も厳重に管理されていた。

それでも、ツバサは深夜こっそり鍵を拝借し、2時に屋上へ向かった。

風の強い夜だった。

屋上に出ると、冷たい空気と共に確かに“それ”が聞こえた。

「ビー…ガリ…ピィ……ビー」

音の発生源は、屋上の一角にある古びた換気装置の下だった。そこには誰も知らない、小さな鉄製のハッチがあった。

翌日、ツバサは古い図面を引っ張り出し、その場所を調べた。

すると、そこには“通信装置管理区画”という記載があった。昭和中期、気象観測や軍事研究といった目的で極秘に設置された“時限通信用ユニット”——つまり、過去と未来で信号を送受信するという、実験的な装置だった。

「本当にそんなの、あったの……?」

ツバサの胸が高鳴った。

夜、再び屋上に戻った彼女は、ドライバーでハッチをこじ開けた。

中には錆びついた装置と、かすかに点滅する赤いランプ。電源は生きていた。

機械に疎い彼女だったが、父が遺した修理道具と古いマニュアルを頼りに、配線を一本ずつ繋ぎ直した。

そして、午前2時を迎えた瞬間。

「ピィ——」

長く伸びるノイズの後、装置から明確な“言葉”が発せられた。

《……こちら、第3未来通信区画。2035年、成層圏通信衛星Σ-9より信号確認》

ツバサは息を呑んだ。

《この信号が届いているなら、応答せよ。あなたはどの時代から来ていますか?》

ツバサは慌ててノートに書いた文字を、装置の古いキーボードに打ち込んだ。

——2025年、東京、築50年のマンション屋上にて受信。名前はツバサ。

しばらくして、再び返事があった。

《君の時代には、まだ時間通信が実験段階だろう。だが我々は、過去の特定地点に限定的な信号が送れる装置を確立した。君の装置は、未来と過去の“通信ハブ”になっている》

《今、この通信を受け取れるのは、君だけだ》

その日から、ツバサと未来の通信は続いた。

天候、社会情勢、科学の発展。未来は混乱と希望が交錯する時代だった。ある日、通信先の人物はこう言った。

《この装置はもうすぐ、信号寿命を迎える。最後に、君にひとつ託したいことがある》

《我々の時代では、過去に伝えた情報で未来を変える実験をしている。君の伝える情報次第で、ある“未来の都市崩壊”を防げる可能性がある》

《どうか、屋上に記録を残してくれ。形式は問わない。君の言葉が、未来を救うかもしれない》

その夜、ツバサはノートを一冊使って、屋上で起きたすべてを書き記した。

マンションの歴史、装置のこと、未来からの信号。そして、彼女自身の思い。

——世界がどうなろうと、誰かが誰かを信じて、手を伸ばす限り、まだ終わりじゃない。

朝日が昇る頃、装置のランプがふっと消えた。

その瞬間、すべての通信が途絶えた。

今もツバサは、屋上で風を感じながら、時々空に耳を澄ませている。

そこにはもう、ノイズもランプの点滅もない。だが、彼女の記した記録は確かにそこにあり、未来へと静かに手を伸ばしていた。

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