【短編小説】月曜日のカレーライス

日常

月曜の夕方、遥の部屋には決まってカレーの香りが漂う。

一人暮らしを始めて半年。大学の近くにある、風呂トイレ別・築15年のアパートが、彼の「新しい家」になった。

最初のうちは、コンビニ弁当やレトルトが当たり前だった。洗い物は面倒だし、自炊するほどの余裕もなかった。

だがある日、何気なく母と電話をしていたときだった。

「ごはんちゃんと食べてる? たまには、カレーでも作ってみたら? 簡単だし、元気出るよ」

その言葉が、妙に耳に残った。

日曜日、思い切ってスーパーへ行き、じゃがいもとにんじん、玉ねぎ、豚肉、そしてカレールウを買った。

翌日の月曜、授業を終えて帰宅した遥は、エプロンもせずにキッチンに立った。

野菜を切るのも、肉を炒めるのもぎこちない。火加減を誤って玉ねぎを少し焦がしてしまった。

それでも、煮込み始めると部屋中に香りが満ちていった。

「……うまそう」

たったそれだけのことが、なぜかすごく嬉しかった。

炊きたてのごはんに、たっぷりのカレーをかける。スプーンで一口すくって頬張ると、思い出の味が舌に広がった。

——母の作る、あのカレーだった。

それからというもの、遥は月曜になるとカレーを作るようになった。

月曜は一週間の始まりで、なんとなく気が重い。けれど、夕方に「カレーが待っている」と思うだけで、少しだけ前向きになれた。

何度か作るうちに、焦がさずに炒めるコツもわかってきた。じゃがいもを大きめに切ると食べ応えがあるし、隠し味に少しだけインスタントコーヒーを加えると、香りに深みが出た。

「今日は、トマトを入れてみようかな」

「チーズ、合うかもな」

そんな工夫をするたびに、キッチンが“自分の場所”になっていった。

あるとき、ふと母からLINEが届いた。

《今日、こっちもカレーよ。玉ねぎ甘く炒めたら、ちょっと遥に似た味になった》

遥は写真を見て笑った。

《そっちのが美味そう。今度帰ったら、また作って》

そんなやりとりが、いつしか当たり前になっていった。

カレーを通して、離れていても母とつながっているような気がした。

ある日、同じアパートの隣人——同じ大学に通う智哉が遊びに来た。

「うわ、いい匂い。これ、手作り?」

「月曜はカレーの日なんだ」

遥がそう答えると、智哉は少し驚いたように目を丸くした。

「いいな、それ。なんか、ちゃんと生活してるって感じ」

何気ないその言葉が、妙に心に残った。

“ちゃんと生活する”——それは、自分の足で立ち、毎日を積み重ねること。

そして、遥は気づいた。

この部屋はもう「実家から離れた場所」じゃない。

自分で選んで、自分で住んで、自分の味を作っている。

そう、ここが“自分の家”になりつつある。

月曜日。今日も夕暮れが街に降りてくる。

じゃがいもを切る音、玉ねぎを炒める匂い、ルウを溶かす湯気。

「さて、今夜はちょっと辛口にしてみるか」

遥は鼻歌まじりに、スプーンを手に取った。

今日のカレーは、昨日よりちょっとだけ上手にできた気がする。

——そんな小さな幸せが、今の彼を支えていた。

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