朝の海は、まだ夢を見ているように静かだった。
潮風に髪をなびかせながら、女子高生・璃子はいつもの海岸を歩いていた。祖母の家に一時的に預けられているこの夏、早朝の散歩が日課になっていた。
と、その時——砂浜に、奇妙なものを見つけた。
一列に並ぶ足跡。それが、波打ち際から数メートル進んだところで、突如として消えていた。
「……え?」
その先に人の姿はない。代わりに、ビーチサンダルとリュックがきちんと置かれていた。
「誰か、泳いだ……のかな?」
だが、周囲に泳いだ形跡はない。波も浅く、飛び込むには不自然すぎる。
璃子は少し不気味さを感じつつも、スマホでその足跡を撮影した。なぜか心に引っかかる感覚があったのだ。
その日の午後、祖母の家で昼食をとりながら、璃子はふとテレビのローカルニュースを見ていた。
——「10年前、この町で起きた未解決の失踪事件。当時16歳の女子高生が、朝の海岸で忽然と姿を消しました」
その言葉に、スプーンを持つ手が止まった。
「おばあちゃん、これって……」
「ああ、あれはね、町でも有名な話よ。足跡だけが残ってて、本人は見つからなかったって……」
璃子は一気に血の気が引いた。今朝、自分が見た光景と酷似していたからだ。
翌日、璃子は再び海岸に向かった。昨日の足跡は潮に消されていたが、あのリュックだけは、まだ砂の上に残っていた。
恐る恐る開けてみる。中には、水筒、タオル、そして一冊のノートがあった。
ページをめくると、丁寧な文字で日記が綴られていた。
——「夢であの人を見た。また会えるって思った。場所は、朝の海。10年前と同じように、足跡だけを残して消えるの。」
璃子は目を見開いた。
日記には、明らかに「自ら消える」ことを意図したような記述がいくつもあった。そして、最後のページにはこうあった。
——「10年後、私も同じように消えます。見つけても、追わないでください。」
手が震えた。
だが、璃子は追わずにはいられなかった。
図書館で調べた当時の新聞記事には、失踪した少女・藤村理沙の名前があった。彼女が消えたのは、璃子の誕生日の一日前。今朝見つけたリュックの持ち主も、名前が「藤村莉緒」とあった。
「……親戚?それとも、本人……?」
夜、璃子は海に向かった。満月が砂浜を照らしている。そこに、新たな足跡があった。今度は、逆方向——海から陸へ。
璃子は静かにその足跡をたどった。
やがて、松林の中で、一人の少女が立っていた。
背中越しに見えるシルエットは、どこか懐かしく、どこか現実離れしていた。
「あなた……藤村さん?」
少女はゆっくりと振り返った。目が合った瞬間、時間が止まったように感じた。
「足跡は、消えないんだよ」
そう言って、少女は笑った。
翌朝、璃子は目を覚ました。手には、昨日までなかった一枚の紙が握られていた。
——「見つけてくれて、ありがとう。私はもう、迷わない。」
そこに残っていたのは、誰かの歩みと、選んだ“境界”の先にある静かな決意だった。