【短編小説】蜜の森の約束

ファンタジー

森は甘い香りに満ちていた。朝露をまとった草の間をすり抜けるように、黄色い羽音が響く。

村のはずれに広がるその深い森は「蜜の森」と呼ばれていた。古くから、不思議な蜜を集める特別な蜂たちが棲んでいると噂されていた。村人たちは決して深く踏み入らず、ただ遠巻きに見つめてきた。

少年・レオがその森で出会ったのは、光るような羽根を持った一匹の蜂だった。

「おい、大丈夫か……?」

地面に横たわるその蜂は、他の蜂よりも一回り大きく、黄金色の体に繊細な模様が浮かんでいた。足を痛めているのか、動こうとしない。

「……あなたは、人間?」

——声がした。

「……しゃべった……?」

「驚かないで。私は“黄金蜂”。森の女王、ミリュと申します」

レオは、夢を見ているような心地だった。だが、蜂は確かに、自分の目をまっすぐに見ていた。

「お願いがあります。森が、枯れかけているのです。原因は……人間の村にあります。けれど、私たちはあなた方を憎んではいません。ただ——約束が、破られてしまったのです」

「約束?」

ミリュは、昔この村にいた養蜂家と森の女王が交わした“蜜の契り”を語った。森の蜂たちは特別な蜜を分け与え、その代わりに村人たちは森を守るというものだった。

「でも、いまは……」

森の周囲にまで広がった畑の農薬が、蜂たちを弱らせていた。蜜は減り、花は咲かなくなっているという。

「あなたに、もう一度“契り”を思い出させてほしいのです。人間の、心ある者たちに」

レオは迷った。村では森の話はタブーとされていた。だが、彼はミリュのまなざしに、真剣な祈りを見るような気がした。

「……わかった。僕、やってみるよ」

レオは村に戻ると、かつて蜜の森に入っていたという老養蜂家を訪ねた。老人は話を聞いて、長く閉ざしていた棚から古い記録帳を取り出した。

「ミリュ……まだ生きていたのか。あの約束は……本物だったんじゃな」

レオの目の前で、老人は静かに頷いた。

翌朝、村の広場に立ったレオは、蜂の話をした。最初は誰も信じなかった。だが、老養蜂家がかつての蜜の味を語り、記録帳を見せると、少しずつ空気が変わっていった。

「もう一度、森と向き合おうじゃないか」

その声に、誰かが頷き、次第に輪が広がっていった。

村人たちは農薬の使用をやめ、森の周囲に新たな花を植えた。蜜を採る代わりに、森の静けさを守る方法を学んでいった。

そして数ヶ月後。森に再び甘い香りが満ちたころ、レオは再びミリュに会いに行った。

「ありがとう、レオ。あなたとの“約束”が、私たちを救いました」

ミリュは羽根を広げ、淡い光を放ちながら空へ舞い上がった。

それはまるで、森が微笑んだような瞬間だった。

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