田植えの季節、山あいの村に水が流れ始めると、達也は祖父の遺した小さな田んぼのあぜ道に立った。
二十代半ば、都市での会社勤めを辞め、家業である米農家を継いだばかり。トラクターの音、土のにおい、そして不意に風が運ぶ苗の匂いが、彼にとってはまだどこか異国のもののようだった。
祖父が亡くなってから、納屋を整理していた達也は、一冊の古びた帳面を見つけた。
「種籾帳」と書かれたその帳面には、祖父が長年にわたって育ててきた米の品種、収量、気象条件が細かく記されていた。その中に、ひとつだけ赤インクで囲まれた文字があった。
——光粋米。
聞いたことのない品種だった。検索しても資料は乏しく、学術記録にも載っていない。だが祖父のメモには「村を飢饉から救った米」「ただし、育てるには“条件”がある」とだけ残されていた。
その年、達也は試しにその“光粋米”を育ててみることにした。袋にわずかに残っていた種籾を、祖父がよく座っていた棚田の一角に撒いた。
最初は戸惑いの連続だった。現代の農業技術では育ちが鈍く、肥料にも農薬にも敏感だった。収量も決して多くはない。
だが、朝晩の気温差が大きい日、満月の夜のあと、そして雨のあとの快晴の日。決まって稲の葉は力強く伸びた。
「米は自然の声を聞いて育つ。人がそれに耳を澄ませなければ、ただの作物になってしまう」
祖父が生前口にしていた言葉の意味が、少しずつ達也の中にしみ込んでいった。
ある日、地元の年配農家が田んぼを訪れ、静かに言った。
「それは“祈りの米”や。昔、大旱魃の年に、村の女たちが唄を歌ってこの稲を守ったんや。収量は少ないけど、炊くときに香りが違う。甘さも、力もある。ほんまに人を救う米やった」
達也は、収益や市場の価値では計れない“米の力”に触れた気がした。
秋。稲穂が垂れる頃、達也は村の小さな収穫祭で光粋米のおにぎりをふるまった。
一口食べた老婆が涙をこぼし、「昔、おばあちゃんが炊いてくれた味や」と呟いた。
達也はそのとき、胸の奥に祖父の声を聞いた気がした。
——米はな、一粒に人の命も記憶も入っとる。
翌年、達也は“光粋米”を正式に栽培品種として広げる決意をした。効率は悪い。でも、誰かの心と体を支える米を作ることこそ、農の本質だと知ったから。
その田には今も、祖父が使っていた稲刈り鎌が、飾るように掛けられている。
風が吹くたびに、稲穂とともに静かに揺れている。