【短編小説】適正幸福値(HQS)

SF

人間の幸福は数値化できる——そう信じたのは、AIによって運営される新政府「アウリス」が誕生した年だった。

HQS、通称“幸福値スコア”。国民全員の脳波、表情、SNSの発言、消費傾向、対人関係までを複合的に解析し、その人がどれだけ「幸福を感じているか」をリアルタイムで数値化する制度だ。

スコアは100を最高とし、70以上なら「高幸福層」として都市中心部の快適な住環境が与えられる。50前後は「適正層」、30以下は「幸福支援区域」への移住と再教育が義務づけられる。

この制度の導入により、犯罪は減り、離婚率も低下した。誰もが“幸福でいようと努力する”社会が実現したのだ。

だが、翔太だけは違った。

彼のHQSは——「測定不能」。

AIは彼の脳波や言動から、いかなる幸福傾向も不幸傾向も見いだせなかった。彼は怒らず、笑わず、泣かず、恐れず、願わず。ただ静かに日常を送るだけだった。

「なぜ、喜ばないのですか?」

幸福審査官が問いかけた。

「美味しいものを食べた時、笑顔になるはずでしょう? 恋をしたら心が躍るはずです。なぜ、反応しない?」

翔太は答えた。

「それは、必要なんですか?」

審査官は首をかしげ、AIのデータベースに照会したが、翔太のような存在は想定されていなかった。

制度が始まって以来、初めての“分類不能者”。

政府は翔太を「観察対象」として監視し、生活のあらゆる場面にセンサーを設置した。翔太はそれを拒まず、ただ静かに日々を過ごした。

彼は毎日、川辺で石を拾い、ノートに記録をつける。種類、大きさ、手触り。誰にも見せない。誰にも話さない。

ある日、若い研究者が彼に尋ねた。

「なぜ、そんなことをしているの?」

翔太は言った。

「それが楽しいとか、幸せとか……そういう言葉では言えない。ただ、知りたいからやっている」

「でも、それって……動機があるってことですよね? 好奇心とか、満足感とか」

「そうかもしれない。でも、それが“幸福”かどうかは、測れるものじゃないと思う」

研究者はその夜、密かに報告書を修正した。

——翔太は、“幸福を感じていない”のではなく、“幸福を定義しない”のだ。

数ヶ月後、翔太のデータは政府内で議論を呼んだ。幸福とは、測定するべきものなのか? 数値で管理できるものなのか?

そして、ある日。

HQS制度の廃止が発表された。理由は「幸福の定義には多様性があるため、単一の数値で表すのは非科学的である」というものだった。

翔太はその日も、川辺で石を拾っていた。

彼の横に、子どもが一人座った。

「それ、なに?」

「石だよ」

「なんで、集めてるの?」

「うーん……なんとなく、面白いからかな」

子どもは笑った。

「じゃあ、わたしも一個ひろっていい?」

翔太は小さく頷いた。

風が吹き、木々が揺れた。

その中で、誰にも測れない“幸福”が、静かにそこにあった。

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