遠洋漁業船「第八光翔丸」が鹿児島港を出たのは、秋も深まる十月の初旬だった。乗組員は全員で十人。うち新人が一人。大漁旗をたなびかせ、長い航海に出る準備は整っていた。
最初の異変が起きたのは、出航からちょうど十一日目の夜。
機関士の斉藤が点呼の際に気づいた。「あれ? 小田がいないな」
小田は整備担当の若手で、少し内向的だが真面目な青年だった。誰も彼の姿を見ていないという。部屋にも、甲板にも、厨房にもいない。異変を感じた船長・岩井は即座に船内の緊急捜索を指示した。
だが、小田の痕跡はどこにもなかった。
転落事故の可能性を疑い、周囲の海域を捜索したが、何も見つからない。小田の部屋は鍵が内側からかかっており、誰かが出入りした形跡もなかった。
そしてもう一つの異変が記録されていた。
航海記録の自動ログに、「第二船倉 開閉記録:03:17」とだけ表示されていた。
だが、「第二船倉」などという部屋は、この船には存在しない。
設計図を確認しても、船体に該当する空間はなく、過去のログにも「第二船倉」の記録は一切なかった。
さらに混乱を招いたのは、乗組員名簿の「合計人数」が、なぜか十一人になっていたことだった。
「俺たち、十人じゃなかったのか……?」
副長の間宮がそう呟いたとき、皆が一瞬、息を呑んだ。
——出港時より、一人多い。
小田が消えたのではなく、“誰か”が最初から余分に乗っていたのではないか。
そこから、乗組員たちは互いの過去と行動を疑い始めた。
「お前、本当に名簿に載ってたか?」
「顔合わせしたよな……全員……いや、本当に?」
不安と猜疑が船を包んだ。夜になると誰もが扉に鍵をかけ、見回りが徹底された。だが、誰一人“十一人目”を見た者はいない。
そして、また一夜が過ぎたある朝、機関室に貼られた注意書きの紙が差し替えられていた。
「第二船倉、開けるな——」
手書きの字は小田の筆跡に酷似していた。
船長は全乗組員に告げた。
「これ以上は危険だ。帰港する」
全員が同意し、急遽、針路は南西から北へと切られた。だがその日の夜、通信機器が突如故障し、GPSも正確な現在地を示さなくなった。
最後に、もう一つだけ奇妙なことが起きた。
出港時からのビデオ記録——船内カメラに、出発の日、全員が甲板に立つ映像が残っていた。
その中で、最後尾に並ぶ黒いレインコートの男。
誰も、その顔を思い出せなかった。
航海は二十日で打ち切られ、「第八光翔丸」は無事帰港した。だが、記録上、失踪者は存在せず、警察も「十一人目」を特定できなかった。
小田の部屋には、最後に一通のメモが見つかっていた。
「知らない誰かと目が合った。たぶん、俺たちはずっと十一人だったんだ」
今も、その船には「第二船倉 開閉記録:03:17」が定期的に記録されているという。