夏休み、晴人は祖父の住む山間の村へやってきた。東京の暑さとは違い、朝の空気は涼しく、蝉の声が遠くの林間から淡く響いている。祖父の家の縁側には古いかき氷機が置かれていた。
「これ、使っていいぞ」と祖父は微笑んだ。晴人はワクワクしてガリガリと氷を削り、青いシロップをかけて一口。ひんやりと甘い雪のような感触が口の中で弾けた。
そのとき――
氷から透明な霧が立ち上がり、頬に涼やかな風が触れた。驚いた晴人が見つめると、かき氷の上に、小さく輝く存在が浮かんでいた。
「こんにちは……僕は風の精。昔、この村を守っていた者です」
それは細く白い羽を広げた、小さな存在だった。目は風のように澄んでいて、話しかける声には草叢を抜ける風のリズムが混じっていた。
「かき氷を作ったあなたの冷気で、ようやく僕は目を覚ませた」
精は静かに言った。かつて村が旱魃と酷暑に襲われたとき、風の精が村を涼ませ、風雨を呼び込んで田畑を守ったという伝承があったが、その力は長らく忘れられていた。
「村がまた、風を失いつつある。どうか、助けてほしい」
晴人は目を輝かせた。「ぼく、手伝うよ」
こうして、晴人と風の精との夏の冒険が始まった。
最初の試練は、村はずれの荒れた水田だった。日照りで土はひび割れ、苗は枯れ始めていた。風の精は弱々しく、強い風を起こすことができない。
晴人は山の峰へ登り、風が吹きやすい場所を探した。汗だくになりながら尾根を辿り、見晴らしのいい稜線に立つと、精が空へ舞い上がった。
「ここなら……風力が届くはず!」
精が手をかざすと、冷たい霧が尾根から村へと流れる。雲が動き、遠くの山々で微かな雨の気配が広がった。奇妙な霧と風が村に降り注ぎ、水田に湿り気を与え、苗はゆらりと再び息を吹き返した。
村人たちは雨に驚き、田の稲の変化に歓喜した。水の匂いが空気に満ちていく。
風の精は疲れ切っていたが、晴人のそばで微笑んだ。
「ありがとう、晴人。君の純粋な心が、私の力を呼び起こした」
翌朝、村の盆踊りが近づき、風祭りを開く準備が進んでいた。晴人はかき氷機を使い、青・白・赤のシロップで風鈴のような模様を作った。そして、竹の露台に並べて村人に配った。
その冷たい一杯を飲むと、誰もが涼やかな微笑みを見せた。まるで風の精が吹いたように。
夕暮れ、晴人は祖父と広場で空を見上げた。遠く霞む山の稜線に、風の精がそっと舞っていた。
「ありがとう、晴人。またいつでも呼んでおくれ」
精は手を振り、そのまま風とともに夜空へ消えた。
晴人の胸には、夏の熱と風の記憶が静かに残っていた。
やがて東京へ戻っても、縁側に置かれたかき氷機を見るたび、あの涼しさと小さな精霊の声が蘇るだろう。
彼の心には、夏と風と優しい出会いの物語が、永遠に刻まれたのだった。