【短編小説】こびとの庭

ファンタジー

日曜日の午後、風がやさしく撫でる歩道の隅に、ひとつだけ見慣れない小さな花が咲いていた。透き通るような淡紫色と、まるで星の欠片を閉じ込めたような真ん中の光。その花は、日和(ひより)にとって最初の“異世界への入り口”だった。

自転車のかごから降り、しゃがみこんで花をじっと見つめていると、穏やかな声が耳元をかすめた。

「やっと会えたね、小さな守り手」

驚いて顔をあげると誰もいない。風だけが葉を揺らしていた。心臓がドキリと高鳴った——けれど、花を見たまま、日和は微笑んだ。

その夜、日和は花の夢を見た。深夜、しずかな庭にひかりが舞い降り、こびとたちが姿を見せた。背の高さは小指ほど。花の色と同じ淡紫色のケープをまとい、小さなランプを灯していた。

「ぼくらは花の国の住人。君が見つけてくれたこの花は、“迷子になった種”なんだ」

こびとは静かに語った。昔、花の国では種類ごとに種が集められていた。だがある日、ひとつの種だけ風に飛ばされ、地の世界に落ちて咲いたのだという。そして、その種は、本来咲くべき庭へ帰る旅の途中であると。

「君にしか、それを見つけることはできなかった。だからお願い――明日、一緒に“花を帰す旅”に出てくれないか?」

目覚めた日和の胸は、なぜか熱く、決意が固まっていた。

翌朝、日曜日の朝は静かだった。花もまだそこに咲いていた。日和は優しく手に取り、ペットボトルの底に水を満たしてそれを挿し、「探検バッグ」にそっとしまった。

最初の目的地は、駅前の公園。こびとの案内通り、そこには低いフェンス越しに緑が濃い一角があり、カラフルな花壇の脇に芍薬(シャクヤク)やヒマワリを交えた混植があった。地図では“乙女の庭”と呼ばれている場所だった。

日和は花瓶から花をそっと取り出し、中心の空いたスミレの間に挿した。そして、目を閉じた。すると――頭上の葉音がざわめき、かすかな温かい風が吹き抜けるように感じた気がした。夢で見たこびとたちが、そばにいるような気配。

その庭を出たあとも、日和は2つ3つ、目印になりそうな場所を巡った。幼稚園の裏庭、銀杏(いちょう)の大木の下、縁側のプランター。どこにも、芽吹いている季節の花が勢いよく咲いていた。そして、あの小さな淡紫の種は、まるでその庭に馴染んだように姿をゆらした。

夕方になるころ、日和は最後の庭にたどり着いた。祖母の家の前の、レンガと雑草が混じる小さな花壇。そこにはパンジーや小菊などが咲いていた。日和はそっと花を植え、つぶやいた。

「ありがとう、こびとさん……さようなら」

その瞬間、ほんの一瞬だけ、庭が光に包まれた。レンガと花びらが淡く揺れ、その庭が呼吸しているようだった。

家に帰ると、日和の胸は満たされていた。「迷子の種」を助けたという満足感よりも、“誰かの世界を思いやる旅”を成し遂げた気持ちだった。

翌朝、あの花はもう咲いていなかった。けれどポケットの中に、小さな花びらが、じんわりと残っていた。

それは、自分だけが見た世界の証。こびとの庭と、小さな冒険の日曜日の記憶。

日和は微笑んだ。その花びらをノートに挟み、ペンを走らせた。

ーーこびとたちは、きっとこの庭に戻れた。 そして、私に教えてくれた「小さな思いやり」が、世界をちょっと素敵にできることを。

こびとの庭は、目に見えないまま、いつも心の中にある――夏の風と花の記憶を連れて。

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