【短編小説】雨音にとけて

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夏休み直前の午後、雲は急に厚く重くなり、雷鳴とともに夕立が教室を襲った。高校生の涼(りょう)は窓から激しく降る雨粒を見つめていた。学校は瞬時に停電し、蛍光灯がすべて消えて、教室は淡い夕闇に包まれる。

そこへ、誰かが戸を静かに引く音がした。振り返ると、春香(はるか)が立っていた。二人は同じクラスだが、これまでまともに話したことはほとんどなかった。細身の身体、長い髪、だけど目には冷たい光はなく、柔らかな沈黙が漂っていた。

「……ひどい雨だね」

春香の声は、雫のように静かだった。停電で鳴らなくなった時計の音だけが、沈黙の代わりに響いていた。

「うん……帰れないね」

いつもの冷やかな教室が、雨音とふたりの呼吸だけが支配している。窓の外では、樹木が雨に揺れ、葉の匂いが濡れて立ち上る。

「ずっと言いたかったこと、あるんだ」

涼がふいに口を開いた。声は震えていた、でも確かな決意が見えた。

春香は顔を上げ、瞳が揺れた。

「え?」

「好きだった。ずっと」

簡単すぎる言葉に、春香は一瞬沈黙した。雨が一層強く、ガラスを叩いた。

「……私も、涼のこと、好きだった」

その言葉が小さな解放のように、ふたりの胸を温かく揺らした。

続けて、涼は言葉を吐き出した。

「クラスではあまり話せなかった。でも、部活の声、帰り道の背中、全部、覚えてる」

春香は窓際に歩み寄り、雨の粒を手のひらに感じたように見た。

「怖かったんだ、関係が壊れるのが。でも、今日、どうしても言いたかった」

雨に濡れた教室の中、ふたりは距離を縮めた。言葉でなくても、手を差し出せば届く距離だった。

雷が遠ざかり、雨が静かに止む頃。教室の隅から淡い光が差し込んできた。停電しても窓に残る夕焼けの残照が、ふたりを包んだ。

「帰る日は変わらないけど…」

春香が小さく笑った。

「でも、部活帰りに一緒に帰れる?」

「うん、そうしようか」

その約束は、ふたりだけの新しい日常の始まりだった。

夏の夕立は、いつも突然で――だけど、そのあとに残る静けさの中で、心はそっと何かを刻む。

教室から出ると、雨上がりの匂いが風に託される。

靴に跳ねた水たまり、濡れた黒板、消えかかった停電の蛍光灯。

それらすべてが、恋の前奏曲だった。

夕暮れの道、小さな傘の影の隣に並ぶ足音は、まだ慣れない軌跡を描きながらも、確かに未来へ続いている。

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