全国ピアノコンクールの決勝――広いステージを照らすスポットライトの中、音大生の真琴と遥は、それぞれの想いを胸に座っていた。演奏順は、親友の遥が先。そして最後に、真琴が弾く。
幼い頃から一緒に育った二人は、切磋琢磨し、励まし合い、今ここに立っている。なのに――ステージ裏で遥が俯き、小さく震える手で譜面を握っていた。
「大丈夫…?」
真琴は無意識に声を掛けた。それに、遥は小さな声で応えた。
「最後の曲、間違えるかも…」
その「秘密」が何かは分からない。でも、遥にとって、それがどれほど辛いものか、真琴には察せられた。
遥の演奏が始まった。清らかで、どこか儚い調べ。ピアノの鍵盤が歌うように響き、客席が息を飲むのが伝わってくる。中盤で、遥が一瞬手を止めた。観客席の奥に、遠い誰かを見つけたような佇まい。
だがすぐ、遥は表情を引き締め、最後の和音を震える指で押した。
拍手が沸く。そして、遥は深く息を吐いて客席に礼をした。
その拍手を聞きながら、真琴は知らなかった遥の秘密が、ふと理解できそうな気がした。
――逃げたいほどの緊張と、逃げたくないほどの責任。
その夜、真琴は自分の控室で譜面と静かに向き合った。遥のあとに演奏するのは、重圧でもあり、励みだった。だが今日は、それだけじゃない。音を通じて、遥の気持ちも抱いて弾きたいと思った。
そして最後のステージへ。
真琴は深呼吸し、指を鍵盤に置いた。曲の始まりとともに、ステップが生まれる。旋律のひとつひとつが、遥との共有した思い出を呼び起こす。雨の日の練習、失敗した夜の励まし、未来への夢。
音は切なく、強く、そして優しくなった。中盤、ふっと涙がこぼれそうになる。強張った肩が、少しだけ落ちた。
ラストノート。鍵盤に指を下ろす瞬間、真琴の心は静かに震え、その音が確かに会場に染み渡った。
ステージ後、ふたりは抱き合って静かに泣いた。勝敗を問う以前に、音楽で交わした何かを確かめ合った。
「聞こえた? 私、弾けたかな…?」と真琴が呟くと、遥はそっと頷いた。
「うん。本当に…うれしかった」
楽屋を出ると、二人を出迎えたのは廊下に並ぶ受賞者たちと拍手だった。
その中で、遥の瞳にふっと熱い影が混じった。
――心に残ったのは、記録よりも、響きあう瞬間だった。
結果発表の場で、真琴の名前が呼ばれても、二人はすでにその余韻の中にいた。
音楽とは、人を競わせるだけじゃなく、人を慈しむものだと気づいたラストノートだった。
そして、ふたりは知った。
「最後の音が鳴り止んでも、私たちの音楽はまだ、どこかで続いているんだ」ということを。