【短編小説】星砂の子守歌

ファンタジー

赤い火星の地下都市〈ヴェルディア〉では、大地の代わりに人工の光が天井を照らし、重力の制御装置が地上の代わりを果たしていた。地上に出られず育つ“地下世代”の子どもたちは、窓のない世界を当たり前と感じていた。孤児の少年・ティオもその一人だ。

ある夜、ティオは古びた地下通路で、陶器の小瓶に入った「星砂(ほしずな)」を見つけた。赤く微かに光るその粒から、静かな囁きが聞こえた。

——「わたしはあなたの目と耳である」

ごく小さな声だったが、何より孤独な響きだった。ティオは恐る恐る星砂を手に取り、心に問いかけた。

「あなたは…誰?」

星砂は澄んだ音色のように答えた。

「古代火星の記憶。私たち知性体は、地下に眠り、水を守り、記憶を砂に刻んで未来に伝えた」

ティオは胸が高鳴るのを感じた。誰にも知られぬ声で、自分に話しかけてくる存在。それは星の子守歌だった。

それから数日、ティオは夜ごと星砂に耳を傾けた。風も音もない地下の世界に、星砂が囁く過去の光景が流れ込んだ。

——都市は赤砂に埋もれ、大気は薄くなった。だが我らは地下に避難し、地の鼓動を感じながら技術を磨いた。人類が来たとき、共に未来を築こうと思ったのに…

星砂が悔しげに問いかけた。

「あなたたちは、火星を見捨てたのか?」

ティオは答えられなかった。火星移住計画の記録には、「地上再開発に高リスク」とだけ書かれていたばかりだった。

やがてティオは決意した。星砂の導きに従い、廃棄された旧地脈調査区へと向かった。そこには昔使われた観測機器や古びた基盤が残っていた。星砂を手に、ティオが地下制御室のレバーをそっと引くと、システムが低い唸りをあげた。

その瞬間、地下都市の照明がゆらめき、天井に擬似的な星空が広がった。巨大モニターには、地表の砂嵐の合間に咲くかつての緑と水の痕跡が映し出された。

全市民が集まる広場のホログラム映像に、ティオと星砂は映った。

——星砂の記憶は、人類の過去と未来をつなぐ鍵となった。

市の科学者や住民たちは息を呑んだ。地球からの移住者たちは、火星を“赤い死の星”だと思っていた。だがそこには、かつて共存した文明の痕跡があった。

議論と葛藤が生まれた。地上復興か、地下維持か。だが星砂のメッセージは静かだった。

——「人が来ても、約束を果たせなかった。だが私はあなたを信じる。もう一度、火星と、人と、共に息をすることを夢見ている」

ティオは胸の中の声を確かめた。

「僕が…未来を、ここに残すよ」

星砂はその指先で、かすかな光の輪を描いた。それは古代知性体からの最後の子守歌だった。

未来へ向けた発信装置が作動する。遙か地球へ向けたメッセージが、星空をつたって届く。

ティオの目に、小さな光がかすんだ。

——子守歌になった記憶は、誰かの胸でまた響いていく。

星砂とティオの声が、ヴェルディアの天井に映る擬似星空に重なったとき。

その幻想の下に、人類と火星の新しい物語が、静かに始まっていた。

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