まだ朝の光が柔らかく差し込む土曜日のキッチン。共働きの智也と沙織は、いつものように立っていた。日々の慌ただしさの中で、週末だけいっしょに料理をする時間が、二人のかけがえのないリズムだった。
今週のテーマは「にんにくバター」。台所のカウンターには、丸ごとのにんにく、無塩バター、新鮮なパセリ、レモンが並んでいる。時計を見ながら、沙織がにんにくの皮をむき始めた。
「ついに、にんにくバターね。でも、うっかり焦がすと、香りが飛んじゃうんだよなぁ」
智也は優しく微笑んで、フライパンに火をつけながら答える。
「ま、失敗しても、僕たちはそれを“スモーキーにんにくバター”って呼ばない?」
沙織が吹き出す。柔らかい笑い声が台所に広がり、コンロからはじんわりと温かい香りが立ち上ってきた。
にんにくを薄切りにしてフライパンに入れる段階では、智也が絶妙なタイミングでバターを加える。
「長い一週間だったけど、やっと二人で料理できるね」
「うん。でも、来週はまた仕事が忙しくなる…。でもさ、こうやって一時間でも一緒に台所に立てるのって、すごく幸せだよね」
沙織はバターとにんにくが黄金色に混ざる様子を見つめながら言った。その視線には、ほんの少しだけ胸の奥を柔らかくする温かさがあった。
にんにくの香りが部屋に満ち、智也はそれを聞かせるように言う。
「焦がさないようにだけ気をつけようね」
「うん、でもちょっと焦がすぐらいが、私たちらしいかもしれないよ」
にんにくがきつね色になった頃、智也はそっと火を止め、刻んだパセリを振りかけた。レモンを絞って爽やかな香りをプラスすれば、「にんにくバター」の完成だ。
ふたりはテーブルに移り、パンにたっぷりと塗って口に運ぶ。
「ん…美味しい」
「すごく美味しいね」
静かに目を閉じて味わう二人。それだけで、台所の時間が二人の特別な瞬間になっていた。
「ねえ、覚えてる? 初めて二人で料理した日」
沙織がつぶやいた。
「うん…。包丁の持ち方も危なかったよね、俺」
智也は笑いながら包丁をしまった日を思い出す。そのときもぎこちなかった二人の手つきは、今では見違えるほど自然になっていた。
「その頃よりずっと、信頼できるようになった気がする」
智也はほんの少し間を置いてから言った。
「僕もだよ。君がそばにいてくれるから、自分の時間が安心に変わった」
気取らない言葉だけれど、二人の間に流れる空気は、温かく深かった。
その日の午後、窓を開け放てば涼しい風が流れ込み、料理の香りと混ざり合って台所を満たしていた。小さな時間の重なりの中で、二人の関係は音も立てずに穏やかに育っていた。
週末のにんにくバターは、ただの料理ではない。ふたりの日常を彩る、大切なリチュアルだった。
——次の週末は、何を作ろうか。
その問いに、再び小さく笑って頷きあえる自分たちを、二人は少し幸せに思った。