グルメレポーターの真田は、テレビのグルメ企画で全国各地を飛び回る日々だ。派手な演出、高級食材、個性豊かな店…どれも仕事として映えるが、時に“忘れてはいけない味”に出会えるのも、この職業の醍醐味だった。
今日訪れたのは、のどかな田舎町。道端には季節の野花が揺れ、小さな看板には手書きで「ラーメンだけ」とだけ書かれていた。真田は「あの無骨さが、むしろいい」と思いながら引き戸を開けた。
店内は狭く、五席だけのカウンターがあり、客は一人だけ。年季の入った木のテーブル、灰色の湯気。店主らしき人が黙々とスープを注いでいた。
「しょうゆラーメン一丁」
真田の声に、店主は僅かに頷き、無表情のままラーメンを差し出す。見た目はシンプルそのもの。澄んだ黄金色のスープに、中細の麺、その上にネギとチャーシュー。飾り気はない。だがレンゲを口に運ぶと…うまい。塩気と旨味のバランスが絶妙で、時間も場所も忘れそうになる深い味わいだった。
「うまい、最高です」
思わずそう口にすると、店主はコクリと頷き、話かけてきた。
「そんなに褒めてもらうと照れるけど、そう思ってもらえるなら、俺もやっててよかった」
少しだけ柔らかい声に、真田は驚いた。
そのとき、目に留まったのは、カウンターの端に置かれた小皿に載った自家製の梅干しだった。梅干し好きの真田は、そっと箸でひとつつまみ、ラーメンと一緒に味わった。
「…これ、すごくいい塩梅ですね。梅の香りが優しくて、スープの塩気とすごく合います」
店主はそれを聞いてくすっと笑った。
「それは…実は、亡くなった女房の仕込みなんだ。ずっと自分の分は、残しておいた」
真田は、一度、レンゲを止めた。スープの向こうに、初めて店主の目に奥行きを見た気がした。
「妻が元気な頃は、毎朝この梅を漬けてくれてな。それをラーメンにひとつ入れて…“今日もがんばれ”って言ってくれるようで、俺にはその味がなくなると、元気が出なかった」
話が店主の口からこぼれると、ラーメンと梅干しは料理を超えた“時間の記憶”になった。
真田はゆっくりラーメンをすする。
「僕、仕事柄いろんな店を紹介してきました。でも、この味とこの梅干しには、深い優しさを感じます。生活と愛情が一つになってる…」
店主は静かに頷いた。
カメラの準備も忘れてその時間は静かに流れた。
しかし、番組にはきちんと収録された。「シンプルだからこそ温かい」とナレーションを添え、梅干しの秘密にも触れた小さなエピソードは、視聴者の胸をじんわりと温めた。
撮影を終えた夜、真田はふと思い出した。まだかすかな温かみを残す梅干しと、店主の語った時間。その味は、どんな言葉よりも、強く、人の心を動かすのだと。
そして無性に、報われたい誰かに「今日もがんばれ」と声をかけたくなった。もしかしたら、それこそが、真田がこの職を続けるほんとうの理由なのかもしれない。