秋の風がやさしく吹く朝、さくら組の子どもたちは、お弁当をリュックに詰めて遠足に出かけた。
「はーい、みんな列からはぐれないでねー!」
先生の声に、元気な返事が返る。落ち葉を踏みしめながら、子どもたちは山道を進んでいく。
その中で、優斗は少しだけ足取りが遅れていた。
彼は普段からおとなしい子で、大きな声で笑うのも、手を挙げて答えるのも苦手だった。けれど、今日はなぜか胸がざわざわしていた。
木々の間から差し込む光に、風に揺れる葉っぱ。まるで、何かが呼んでいるような気がして——ふと、道の脇に小さな分かれ道が見えた。
細くて、誰も通らなそうな坂道。
「ちょっとだけ……」
優斗は列を離れ、吸い寄せられるようにその道をのぼっていった。
やがて坂をのぼりきると、そこには不思議な光景が広がっていた。
色とりどりの旗がはためく広場。木の枝でできたすべり台、小石のトンネル、葉っぱのブランコ。そして、そこにいたのは——小さな服を着た動物たち。
リスが帽子をかぶり、ウサギが笛を吹き、タヌキがカメラをぶら下げていた。彼らは一斉に優斗の方を振り向いた。
「おや? 人間の子だ!」
「今日は“遠足の日”だもんね、子どもなら来れるんだよ!」
リスが言った。
「ようこそ、“遠足の国”へ!」
タヌキが胸を張って言った。
どうやらこの場所は、子どもだけが入れる秘密の国らしい。そして今日は特別な日で、「よその世界の子」も歓迎するという。
「ぼく、優斗っていいます……」
名乗ると、みんなが口々に「優斗くん!」「ゆーとくん!」と呼び、あっという間に打ち解けた。
広場では“遠足の国”のお祭りが始まっていた。みんなで葉っぱのシャボン玉を飛ばし、木の実でつくったアクセサリーを交換し、小さな列車で森の中を一周する。
「次は“ゆうきの橋”だよ!」
ウサギが案内した先には、細い細い木の板でできた吊り橋があった。下は深い谷になっていて、見るだけで足がすくむ。
「こ、こわい……」
優斗は立ち止まった。
「でも、この橋を渡ったら、“いちばんすてきなおやつ”が食べられるんだよ?」
タヌキが目をきらきらさせて言う。
優斗は、手のひらにぎゅっと力をこめた。怖い。でも、みんなは渡った。自分にもできるかもしれない。
そっと一歩、また一歩。
板がぎしぎし音を立てるたび、心臓がどくんと跳ねた。でも——
「がんばれ、優斗くん!」
後ろから、動物たちの声が飛んできた。
足が震えながらも、優斗はついに向こう岸にたどり着いた。
「わあ!」「やったね!」
拍手が巻き起こり、優斗の顔がふっと明るくなった。胸が、ほんの少しふくらんだ気がした。
橋を渡った先のテーブルには、木の実クッキー、どんぐりケーキ、はちみつゼリー。優斗は笑いながら頬張った。
「……帰らなきゃ」
そうつぶやいたとき、空が少しだけ暗くなりはじめていた。
「また来てね!」
「春になったら“お花見の国”もあるよ!」
別れを惜しむ声に見送られ、優斗は再び坂道を下っていった。
山道に戻ると、ちょうど先生が人数を数えていた。
「あっ、優斗! どこ行ってたの?」
「ごめんなさい……ちょっと、坂のむこうに……」
けれど、その先の言葉は、なんとなく胸の中にしまった。
翌日、優斗はクラスで、いつもより少しだけ大きな声で発表をした。先生が驚いたように笑い、友だちも「すごいね!」と拍手をくれた。
ポケットの中には、小さな葉っぱでできたブローチがひとつ。あのとき、こっくりと眠たげなリスが「おまもりに」とくれたものだった。
誰も気づいていないけれど、優斗の中では、何かが確かに変わっていた。
——あの坂のむこうがわには、まだ誰にも見えない小さな勇気が、風に揺れて残っていた。