【短編小説】駅弁メモリーズ

日常

出張続きの生活にも、楽しみはある。

直人にとってそれは、「駅弁」だった。

新幹線の発車までの短い時間、売店やワゴンを巡って、その土地ならではの弁当を探す。豪華な海鮮丼や、素朴な山の味。味はもちろん、掛け紙のデザインや、地元の人とのちょっとした会話も含めて——駅弁は、旅の記憶そのものだった。

今日も出張帰り。直人は、山陰のある小さな駅に降り立っていた。初めてではない。十数年前、まだ新人の頃に来たことがある。

そのときの記憶が、不意に蘇った。

小さなホームの片隅に立っていた、駅弁売りの少年。

中学生くらいで、制服の上にエプロンを重ねて、木箱を抱えていた。少し緊張したような顔で、でもしっかりと「いかがですかー!」と声を出していた。

「あのときの、あの味……まだあるかな」

そう思いながら、改札前の売店に足を運ぶ。並ぶのは、見覚えのある赤い掛け紙。イカ飯と牛しぐれ煮が詰まった、あの弁当だ。

「これ、ひとつ」

声をかけると、カウンターの奥から若い男性が現れた。

「あっ、どうも。ありがとうございます」

彼の顔を見た瞬間、直人の胸がふわりと熱くなった。

——間違いない。あのときの少年だ。

髪は短く整えられ、声も落ち着いていたが、目元の面影はそのままだった。

「……君、昔ここで、駅弁売ってたよね?」

驚いたように、彼は目を丸くした。

「えっ……もしかして、あのときの……スーツの人?」

今度は直人のほうが驚いた。

「覚えてたのか」

「ええ、なんか印象に残ってて。弁当渡したとき、『この味、絶対忘れない』って、笑って言ってくれたから」

彼は少し照れくさそうに笑った。

直人は、ベンチに腰を下ろし、改めて弁当の蓋を開けた。あの日と同じ、甘辛い香りが広がる。

「この味だ。変わってないな」

「父が亡くなってからは、僕が引き継いでます。味だけは、絶対に変えないって決めてて」

彼はそう言って、売店の奥をふと見やった。そこには、年季の入った鍋や道具たちが並んでいた。

「この弁当、どこで食べても、駅の風が思い出されるんだ。あの空気も、君の声も、一緒に詰まってたみたいでさ」

「……それ、嬉しいです」

静かな構内に、発車のベルが響いた。

「じゃあ、また来るよ。今度は誰かを連れて」

「はい。変わらず、ここで待ってます」

列車のドアが閉まり、車窓に小さな売店と、手を振る彼の姿が映った。

直人は弁当の掛け紙をそっと畳んで、鞄にしまった。旅の記憶は、またひとつ増えた。

——駅弁の味は、時を越えて、心をつなぐ。

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