【短編小説】今日は晴れたから

日常

朝、カーテンを開けた瞬間、光が差し込んできた。

空は雲ひとつない青。空気はひんやりしているのに、どこかやわらかくて、美央は思わず小さく頷いた。

——今日は、洗濯日和だ。

一人暮らしの会社員、美央にとって「晴れた日」は、特別な意味を持つ。それは、洗濯物がよく乾く日であり、自分の暮らしを見直すための“小さな再起動”の日でもある。

バタバタとした平日の合間、まともに家事をする時間も気力も残っていない日が多い。けれど、こうして週末に空が晴れると、何かが報われるような気がするのだ。

朝食を簡単に済ませてから、美央は洗濯機を回し始めた。毛布、シーツ、タオル、部屋着。いつもなら数日に分けて洗うものを、今日はまとめてやってしまう。

「ぜいたく洗い、だね」

ぽつりと呟いて、自分で笑った。

洗濯機が回っている間、ベランダの物干し竿を拭いて、布団叩きでマットを軽くたたく。やることは単純だけれど、その一つ一つが、自分を整えていくような感覚がある。

やがて、洗濯機が「終わったよ」と言わんばかりの音を鳴らした。

濡れたシーツを取り出すと、柔軟剤の香りとともに、まだ夜の残り香が少しだけ混ざっていた。それを、両手でしっかり広げ、ベランダにぱん、と干す。

風が通り抜け、シーツがふわりと揺れた。

その瞬間、美央の胸に小さな達成感が広がる。

——この風の匂いが、好きだ。

空を見上げると、高く高く雲が流れていた。遠くで鳥の声が聞こえる。

そのとき、隣のベランダから、子どもの笑い声がした。

「あっちに雲いったー!」

「ほんとだ、すごいすごい!」

どうやら母子で空を眺めているらしい。美央は思わずそちらに視線を向けそうになり、ふと立ち止まる。

顔を合わせたこともない隣人。けれど、洗濯物越しに聞こえてくるあの声は、いつもどこか、生活の輪郭をやさしくなぞってくれる。

子どもの声は、不思議と自分の心に届く。あの笑い声を聞くと、忙しい平日のモヤモヤや疲れが、ほんの少し軽くなる気がするのだ。

「今日は晴れたから、きっと隣の家でもシーツを干してる」

そんな想像をしながら、美央はタオルを一枚ずつ丁寧に干していった。

風に揺れる洗濯物たち。ベランダの柵越しに、白や水色、ピンクの布たちがリズムよく揺れる。目に見えない風が、暮らしをなぞっていくような光景。

午後には、取り込んだシーツを畳み、少し早めにシャワーを浴びて、新しく整えたベッドにシーツをかける。

その瞬間、今日という一日が“報われた”と感じられる。

「今日もちゃんと、生きてたな」

そう思える瞬間があるだけで、また明日から頑張れる。

夜、ベッドに横になると、太陽をたっぷり浴びたシーツの匂いが微かに鼻をくすぐった。

隣からはもう、子どもの声は聞こえない。でも、今日の昼間に響いたあの笑い声は、まだ美央の耳の奥に残っていた。

目を閉じる。

「また、晴れたらいいな」

静かな願いとともに、美央は眠りに落ちた。

——洗濯という名の小さな再起動は、今日も、明日も、そっと彼女を支えてくれる。

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