「なんで、そんなに言い方キツいの?」
凛の声が、少しだけ震えた。
文化祭の演劇で主役に抜擢された文芸部の凛は、今日も演出担当の天野とぶつかっていた。
「キツくなんて言ってない。ただ、もうちょっと感情を出してほしいだけ」
「出してるよ。これが私の精一杯!」
脚本を読み込み、動きも覚え、セリフも間違えていない。それでも天野は「それじゃ足りない」と繰り返す。もともと演劇部ではない凛が、どうしてここまでやらなきゃいけないのか——そんな苛立ちが、胸の奥でくすぶっていた。
最初は、クラスの余り枠のような形で始まった演劇企画だった。脚本を書ける人がいないからと、文芸部の凛に白羽の矢が立ち、なぜか主役も兼ねることになった。演出は、映像部の天野。寡黙で、口数も少なく、最初の印象は「とっつきにくい」だった。
ところが彼は、実は誰よりも“本気”だった。
照明プランを図面に起こし、舞台の段取りも秒単位で組み立て、芝居のテンポ、間合い、目線まで細かく指摘する。
「そこまでやる?」
思わずそう言った凛に、天野は静かに答えた。
「やるからには、ちゃんと届けたいんだ。中途半端なものを舞台に乗せるくらいなら、やらない方がいい」
その言葉が、妙に胸に残った。
演劇なんて、クラスの思い出づくりみたいなものだと思っていた。でも、天野の真剣さにふれた瞬間、自分の甘さが浮き彫りになった気がした。
「ちゃんと届けたい——か」
それからの稽古は、ぶつかりながらも少しずつ変わっていった。セリフの言い回しに悩んでいたとき、天野がふと、凛の原作ノートを読んでくれていたことを知る。
「君の書いた言葉には力がある。だから、その声で、ちゃんと伝えてほしいんだ」
そのひとことで、凛は救われた。
本番が近づくにつれ、教室の空気が変わっていった。大道具が完成し、小道具が揃い、衣装に袖を通すたびに、芝居の輪郭がはっきりしていく。
迎えた当日。
開演前の舞台袖。緊張で手が震える凛のそばに、天野が静かに立った。
「……大丈夫?」
彼が初めて、自分から声をかけてくれた。
「緊張して、全部飛びそう」
「なら、忘れてもいいよ。君がその場で何を感じたか、それを話してくれたら、それがセリフになるから」
その言葉が、凛の中の“何か”を溶かした。
カーテンが上がる。照明が落ち、舞台が光に包まれる。
凛は舞台に立ち、そして——生まれて初めて、自分の言葉が誰かの胸に届くのを感じた。
セリフが生きていた。観客の目が、自分を見ていた。天野が求めた「本気」が、ようやく少しだけわかった気がした。
ラストシーン、凛は深く一礼し、暗転。
拍手が鳴り響く。
カーテンコールで、クラス全員が舞台に立った。笑顔、涙、達成感。誰もが最高の表情を浮かべていた。
そしてその裏側。舞台袖で、凛は天野に言った。
「ありがとう。本気で怒ってくれて、ぶつかってくれて。私……ちゃんとやれてたかな」
天野は少し目を逸らしながら、でも確かに笑って言った。
「……ああ。カーテンコールのとき、君の声が聞こえた。ちゃんと届いてた」
放課後の静まり返った体育館。スポットライトはもう消えていたけれど、ふたりの間にだけ、小さな光が灯っていた。
それは、幕が下りた後にはじまる、別の物語の予感。