【7分で読める短編小説】最後のチェックボックス|多数決の端っこに残った、小さな必要の話

日常

月曜の朝、社内ポータルに上がった備品整理アンケート。
不要なものにチェックを入れるだけの、簡単で静かな多数決でした。
けれど、最後の項目に並んだ小さな白い箱が、私の指を止めます。
声を張らない選択が、誰かの一日を支えることもある――そんな余韻を残す物語です。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:7分
  • 気分:しんみり/静かに前向き
  • おすすめ:職場での小さな居場所を大切にしたい人、多数決に違和感を覚えたことがある人、目立たない支えに救われた経験がある人

あらすじ(ネタバレなし)

コスト削減のための備品整理アンケートで、主人公は「簡易ホワイトノイズ機」という目立たない項目に出会う。
多数が「不要」に傾くなか、その音に何度も助けられてきた記憶がよみがえる。
一票で結果は変わらないかもしれない。それでも、短い事実だけをコメントに残し、「必要」にチェックを入れる。
後日、配置見直しという形でその箱は残り、別の誰かの“端っこ”にもなっていく。
声を張らない勇気と、小さな必要がそっと守られる瞬間を描いた一編。

本編

 社内ポータルに、見慣れないアンケートが上がったのは月曜の朝だった。
《備品整理アンケート(コスト削減のため)》
 不要だと思うものにチェックを入れてください。多数決で廃止を決定します——そんな但し書きが、淡々と続く。

 コピー用紙の種類、古い会議用スピーカー、観葉植物。
 どれも「まあ、なくても困らない」と思える項目ばかりだ。
 私はスクロールを進め、最後の方で指が止まった。

《簡易ホワイトノイズ機(会議室前)》

 小さな白い箱。
 通話ブースの前に置かれていて、ボタンを押すと、かすかな波の音が流れる。
 誰かが発明したわけでも、推したわけでもない。
 ただ、そこにあるだけの備品。

 チェック欄を見ると、すでに多くが「不要」に傾いていた。
 ——たしかに、会議室は防音だし、いらないかもしれない。

 でも、私は知っている。
 昼過ぎ、頭がざわついて集中できないとき、
 資料の数字がにじんで見えるとき、
 あの音が、私の呼吸を整えてくれたことを。

 入社して二年目の春。
 失敗が続いた。
 会議で言葉に詰まり、上司の視線が痛くて、トイレに逃げた日。
 通話ブースの前で、あの箱のボタンを押した。

 サー……という、海とも風ともつかない音。
 誰にも聞かれない音。
 五分だけ、目を閉じて、数を数えた。

 戻った席で、私はちゃんと話せた。
 それ以来、あの箱は、私の“端っこ”になった。
 目立たない場所で、立て直すための端っこ。

 アンケートの締切は、今日の終業まで。
 私は画面を閉じ、仕事に戻った。
 午後、同僚が言った。
「ホワイトノイズ? あれ使ってる人いるの?」
 私は、首をすくめた。
「さあ……」

 言えなかった。
 自分だけが助けられている、と知ってしまったから。
 多数決の前に出すには、あまりに小さく、個人的すぎる理由だ。

 終業十分前。
 再びアンケートを開く。
 不要の割合は、さらに増えている。
 指が、チェックボックスの上で止まる。

 ——一票で、変わるだろうか。
 ——変わらなくても、後悔しないだろうか。

 私は、コメント欄を開いた。
 文字数制限は、三百。
 短く、事実だけを書いた。

「集中が途切れたとき、短時間使っています。
 会議室前の環境音が、作業復帰の助けになっています。」

 チェックは、「必要」。
 送信。

 派手な主張はしない。
 それが、この箱に似合うと思った。

 数日後、結果が出た。
 多くの備品が廃止。
 ホワイトノイズ機は——継続(利用者少数のため配置見直し)。

 配置は、通話ブースの横から、窓際の静かな一角に移った。
 より端っこだ。
 でも、確かに残った。

 その日、席を立つと、別の部署の人が箱の前にいた。
 ボタンを押し、少し肩の力を抜く。
 目が合って、軽く会釈する。

 私は自席に戻り、資料を開いた。
 数字が、ちゃんと並んでいる。

 片付けリストの端っこには、
 多数決では測れないものが、たまに残る。
 それは、声を張らない勇気と、
 小さな「必要」を、そっと置いておく場所だ。

 サー……という音が、遠くで続く。

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