【7分で読める短編小説】既読は、返事にならない|沈黙が罪になる世界で、言葉を選ばなかった理由

SF

感情ログが証拠になる社会で、「既読」はもはや私的な行為ではありません。
返さなかったこと、沈黙した時間、迷った痕跡——それらすべてが裁かれる対象になります。
これは、返事をしなかった人間の物語であり、
言葉を送らなかった理由を、世界に問われた一夜の記録です。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:7分
  • 気分:重たい余韻/静かに考えさせられる
  • おすすめ:既読スルーに心を揺らした経験がある人、善意と責任の境界に悩んだことがある人、テクノロジーと感情の関係を考えたい人

あらすじ(ネタバレなし)

感情ログが法廷で証拠として扱われる社会。
主人公は、元恋人からのメッセージを「既読」にしたまま返信しなかったことで、裁かれる立場に立たされる。
沈黙は冷酷だったのか、それとも思いやりだったのか。
心拍、視線、未送信の痕跡が次々と提示されるなか、主人公は自分の選択を言葉にする。
「返さなかった」ことの意味を問い直し、
沈黙もまた感情であり、配慮でありうるのだと静かに主張する物語。

本編

 その国では、感情ログが証拠になる。
 心拍、指先の震え、視線の滞在時間。
 メッセージを「開いた」という事実は、もはや私的な行為ではなかった。

 法廷のスクリーンに、私のスマートログが映し出される。
 時刻、二十三時四分。
 既読。
 そこから四十八時間、返信なし。

「被告は、元恋人からのメッセージを読み、長時間にわたり沈黙しました」
 検察官の声は整っている。
「返信していれば、被害者は自宅を出ず、悲劇は防げた可能性が高い」

 私は椅子に深く腰を下ろし、唇を噛んだ。
 あの日、彼女——美沙から届いた短い文を、私は確かに読んだ。

『話したい。今じゃなくていい。』

 それだけだった。
 圧力も、要求も、なかった。
 だから私は、返さなかった。

 別れた理由は、よくあるものだ。
 将来の話、仕事の優先順位、疲れ。
 喧嘩の末に出た言葉より、出なかった言葉の方が多かった。

 別れて三ヶ月。
 私は回復している途中で、彼女はまだ途中だった。
 それを、私は知っていた。

 だから、返信しなかった。
 軽い同情の一言が、彼女を期待に縛ることを、私は恐れた。
 沈黙は、逃げではなく、距離だった。

 だが、世界はそう受け取らない。

 検察はログを重ねる。
 既読直後の心拍数の上昇。
 画面に留まった視線。
 キーボードを起動して、閉じた痕跡。

「被告は“返そうとした”」
 検察官は言い切る。
「それでも返さなかった。これは、無作為の作為です」

 弁護人が立つ。
「沈黙も、感情です」
 短く、はっきりと。
「被告は、相手を思いやり、距離を保った。法は、沈黙の意味を奪ってはならない」

 裁判長が私を見る。
「あなた自身の言葉で、説明してください」

 私は息を吸い、話した。
 あの夜、返信文を三通、消したこと。
 “大丈夫?”が、最も無責任に感じたこと。
 “会おう”が、彼女の夜を延ばす気がしたこと。
 そして——

「……沈黙は、終わらせるための返事でした」

 法廷が、静まる。

 判決は、重くも軽くもなかった。
 法は、直接の因果を認めなかった。
 だが、世間は別だ。
 “返信しなかった罪”という言葉が、見出しに踊った。

 夜、帰宅して端末を開く。
 美沙のメッセージは、今もそこにある。
 既読のまま、時間だけが増えている。

 私は、未送信の下書きを開いた。
 新しい文を書く。

『あのとき、返さなかったのは、あなたを軽んじたからじゃない。
 あなたの夜を、これ以上引き延ばしたくなかった。
 沈黙は、私にできた唯一の配慮だった。』

 送信は、しない。
 これは、証拠にしたくない言葉だ。

 端末を伏せ、窓を開ける。
 街は静かで、風が通る。
 既読と未読の狭間には、言葉にならない感情がある。
 それを測り、罰するには、世界はまだ粗すぎる。

 私は灯りを消す。
 沈黙は、今も返事にならない。
 それでも——
 誰かを守るために、選ばれることがある。

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