商店街の端にある静かな喫茶店。
いつも空いているのに、なぜか埋まって見える「Reserved」の席がありました。
理由は語られないまま、時間だけが積み重なっていく朝の風景。
待つことの意味と、戻ってくる人の重みを、やさしく描いた一編です。
こんなときに読みたい短編です
- 読了目安:7分
- 気分:しんみり/あたたかな余韻
- おすすめ:約束を胸に抱えたまま時間を過ごしたことがある人、静かな喫茶店の物語が好きな人、待つことを肯定してほしい朝に
あらすじ(ネタバレなし)
毎朝通う喫茶店の窓際で、主人公はいつも「Reserved」と書かれた空席を見ている。
誰も座らず、理由も語られないその椅子は、不思議と空席には見えなかった。
ある日から、椅子の位置や空気の変化に、かすかな“気配”を感じ始める。
やがて明かされるのは、かつてその席に座っていた常連客と、戻るという約束の存在。
そして迎える、約束の日の朝。
空席が“今日のため”にあったことを静かに示す、待つことの物語。
本編
商店街の端にある喫茶店は、朝がいちばん静かだった。
豆を挽く音と、湯気の匂い。カウンターの奥で鳴るカップの触れ合う音が、時計の代わりになる。
私はいつも、窓際の席に座る。
その斜め向かいに、ひとつだけ空いている席があった。背もたれが少し高く、脚が丸い木の椅子。
テーブルには、小さな札が置かれている。
Reserved
英語の文字は擦れて、角が丸い。
誰も座らない。
店主も、何も説明しない。
初めて見た日、私は聞いた。
「この席、ずっと予約なんですか?」
店主はミルクを温めながら、曖昧に笑った。
「ええ。ずっと」
それだけだった。
通い始めて三年。
私は毎朝、同じブレンドを頼み、同じ時間に店を出る。
Reservedの席は、いつも空いている。
それなのに、不思議と“空席”には見えなかった。
ある雨の日、私は気づいた。
椅子が、少しだけ、前に引かれている。
人が立ち上がった直後みたいに。
気のせいだと思い、コーヒーを飲んだ。
次の日も、その次の日も、椅子はわずかに前に出ていた。
そして、耳の奥で、かすかな音がした。
——今日は、来るかな。
声、というより、木が軋む前の気配。
私はスプーンを置き、呼吸を整えた。
疲れているのだろう。仕事が立て込んでいた。
それから、時々“感じる”ようになった。
雨の日は、そわそわ。
晴れの日は、静か。
商店街の祭りの日は、背筋を伸ばす。
——約束の日は、晴れるって。
その夜、夢を見た。
古い校舎。窓から差す午後の光。
木工室で、誰かが椅子を磨いている。
手は若く、でも動きは慎重だ。
「ここに置くんだ」
誰かが言う。
「また、来るから」
目が覚めたとき、胸が温かかった。
私は店主に聞いた。
「Reservedの席、理由……聞いてもいいですか」
店主は少しだけ考え、カップを拭く手を止めた。
「昔、常連さんがいましてね。毎週、同じ曜日、同じ時間。
その人が座る席だった」
「今は?」
「引っ越されました。……戻る約束だけ、残して」
店主はそれ以上、言わなかった。
でも、十分だった。
ある朝、商店街がやけに明るかった。
空は、澄んだ青。
Reservedの椅子が、きちんとテーブルに寄っている。
——今日は。
私は背筋を伸ばし、いつもよりゆっくりコーヒーを飲んだ。
ドアの鈴が鳴る。
入ってきたのは、白髪の男性だった。
杖をつき、少しだけ歩幅が小さい。
店内を見渡し、Reservedの札を見て、目を細めた。
「……まだ、取ってくれてたんだ」
店主がうなずく。
「ええ。ずっと」
男性は椅子に手をかけ、そっと座った。
木が、ほっと息をつく音がした。
——遅くなって、ごめん。
私は涙が出そうになり、窓の外を見た。
椅子は、待っていた。
人は、戻ってきた。
男性はコーヒーを一口飲み、静かに笑った。
「この味、変わらない」
店主も笑う。
「変えませんでしたから」
私は席を立つとき、Reservedの札に目をやった。
もう、そこには置かれていなかった。
代わりに、椅子は今日の重みを、きちんと受け止めている。
外に出ると、風がやさしい。
約束は、守られるためにある。
そして、待つことは、無駄じゃない。
あの席は、今日のために、Reservedだったのだ。

