【7分で読める短編小説】掲示板は、毎朝書き換えられる|貼る勇気と剥がす理由が出会う場所

日常

毎日通り過ぎるだけの掲示板に、ある朝、見慣れない紙が貼られていました。
それは小さな誘いで、名前もなく、すぐに消えてしまうもの。
けれど消えるたびに、言葉は少しずつ形を変え、誰かの気配を残していきます。
通勤前や朝の静かな時間に、ゆっくり読んでほしい一編です。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:6〜7分
  • 気分:静かでやさしい/少しあたたかい余韻
  • おすすめ:人との距離感に迷っている人、日常の中の小さな勇気に気づきたい人

あらすじ(ネタバレなし)

マンションの掲示板に、名もないお花見の誘いが貼られては、毎朝のように剥がされていきます。
気づけば語り手は、その短い言葉の変化を追うようになっていました。
貼る人と、剥がす人。それぞれの理由が、土曜の朝、桜の下で静かに交差します。
無機質だった掲示板に残ったのは、勇気と慎重さが同じ場所に並んだ、確かな記憶でした。

本編

 マンションの一階、郵便受けの横にある掲示板は、いつも同じ顔をしていた。
 管理会社からの注意書き、点検のお知らせ、ゴミ分別の図。
 誰も立ち止まらない、読むためというより「貼ってあるため」の場所。

 その掲示板に、ある朝、一枚だけ異物があった。

《お花見、行きませんか?
 今週の土曜、午前十時。川沿いの桜並木。
 どなたでも。》

 コピー用紙に、黒のペン。
 字は丸く、少しだけ右に傾いている。
 名前は、ない。

 私は一瞬立ち止まり、時計を見て、出勤した。
 誰かの冗談だろう。
 そう思った。

 翌朝、掲示板は元に戻っていた。
 メモは、ない。

 少しだけ、がっかりした自分に気づき、首を振る。
 代わりに、その翌日。

《桜、もう咲き始めました。
 土曜、晴れるそうです。》

 また、名前はない。
 貼り紙は、画鋲一本で留められている。

 その日も、帰宅すると、剥がされていた。

 気づけば、私は毎朝、掲示板を見るようになっていた。
 ある日は、

《一人でも大丈夫です。
 写真を撮るだけでも。》

 ある日は、

《途中参加・途中解散、自由です。》

 貼られては、剥がされる。
 貼る人と、剥がす人が、確かにいる。

 貼る人は、少しずつ言葉を柔らかくしている。
 剥がす人は、毎回、きれいに剥がす。
 破らない。落書きもしない。
 ただ、なかったことにする。

 土曜の前夜。
 最後のメモが貼られていた。

《もし、誰も来なくても。
 私は行きます。》

 私は、その紙を長く見た。
 そして、初めて思った。
 ——剥がす人は、なぜ剥がすのだろう。

 答えは、意外な形で見つかった。

 土曜の朝。
 エレベーター前で、管理人の女性と鉢合わせた。
 彼女は、掲示板の前で立ち止まり、何もない面を見ている。

「……また、剥がしちゃった」
 独り言みたいに、呟いた。

 私は、思い切って聞いた。
「あの、あのメモ……」

 彼女は驚いて、少し困ったように笑った。
「迷惑、でした?」
「いえ。……むしろ、楽しみにしてました」

 彼女は、ほっとした顔をした。

「昔、ああいうのが原因で、揉めたことがあって。
 勝手に集まりを呼びかけるな、って」
 だから、反射的に剥がしてしまう。
 悪意じゃない、と彼女は言った。

 川沿いの桜並木。
 十時ちょうど。
 ベンチに、女性が一人、座っていた。
 スケッチブックを膝に、桜を見上げている。

 私は声をかけた。
「掲示板、見ました」

 彼女は驚き、そして笑った。
「よかった。……一人じゃなかった」

 しばらくして、管理人の女性も来た。
 少し迷ってから、言った。
「……剥がしてたの、私です」

 沈黙。
 それから、三人で笑った。

「次は、許可、取ります」
「次は、画鋲、二本にします」

 桜が、風に揺れる。

 翌週。
 掲示板には、新しい紙が貼られていた。

《次回の掲示は、管理人承認済みです。
 貼った人と、剥がした人も、います。》

 今度は、剥がされなかった。

 掲示板は、相変わらず無機質だ。
 でも、その前を通るたび、
 私は知っている。

 貼る勇気と、剥がす慎重さが、
 同じ場所で、やっと並んだことを。

タイトルとURLをコピーしました