【7分で読める短編小説】未読のまま、進め|過去の自分と交わす、静かな対話

SF

仕事に追われ、評価も将来も見えなくなった夜。
もし過去の自分にだけ言葉を送れるとしたら、あなたは何を書くでしょうか。
この物語は、未来を変えるためではなく、「今を続ける理由」を確かめるための対話を描いています。
眠る前の数分、心を静かに整えたいときに読んでほしい一編です。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:6〜7分
  • 気分:静かで内省的/背中をそっと押される
  • おすすめ:仕事に迷いを感じている人、辞めたい気持ちと続けたい気持ちの間にいる人

あらすじ(ネタバレなし)

過去の自分にだけ通知を送れるSNS「TimeMe」に登録した語り手は、一年前の自分へ「やめてもいいよ」とメッセージを送ります。
返ってきたのは、理由のない短い拒否と、いくつかの曖昧な予告。
現在と過去の対話は、社内の掲示や何気ない記憶を手がかりに、少しずつ意味を帯びていきます。
やめることも続けることも否定しない言葉の先で、語り手は「今」を選び取ろうとします。

本編

 新サービス「TimeMe」は、妙に静かなSNSだった。
 フォローも、いいねも、広告もない。
 あるのは、過去の自分にだけ送れる通知という一点だけ。

 仕事に疲れ切った夜、私は登録した。
 残業三日目。ミスの連鎖。評価は平均、将来は不透明。
 画面の入力欄に、日付が選べる。

 一年前。

 迷わず選び、短い文を打った。

「やめてもいいよ。」

 送信。
 それで、少しだけ楽になった気がした。
 過去の自分に許可を出すなんて、ばかばかしい。
 でも、そのばかばかしさに、救われた。

 翌朝、通知が来た。
 見慣れない音。心臓が跳ねる。

《TimeMe:1件の返信》

 私は息を止めて開いた。

「まだ、やめないで。」

 短い。
 理由も、感情も、説明もない。
 ただ、拒否。

 胸の奥が、ちくりとした。
 返事を打つ。

「どうして?」

 しばらくして、返信。

「来週、君は“偶然”を拾う。」

 腹立たしいほど、曖昧だった。
 占いか。
 私は端末を伏せ、出勤した。

 タイムラインは、私と一年前の私の会話だけで満ちていく。
 昼休み。

私(現在):「偶然って何」
私(過去):「廊下の掲示。左下。」

 午後。
 言われた通り、掲示板の左下を見る。
 社内公募の張り紙。新規プロジェクトの短期メンバー募集。
 条件は厳しいが、期間は三ヶ月。
 私は写真を撮り、スクロールした。

私(現在):「これ?」
私(過去):「うん。応募しなくていい。見るだけで」

 見るだけ?
 意味が分からないまま、仕事に戻る。

 夜。
 返信が来た。

「一年前の今日は、君は“比べるのをやめた日”だ。」

 私は眉をひそめた。
 覚えがない。

「やめてない。今も比べてる」
「比べてるのは、他人じゃない。過去の自分だ。」

 指が止まる。
 タイムラインの上部に、会話が静かに積み重なる。

 数日後。
 例の張り紙が更新された。
 プロジェクトの概要が少し具体化している。
 私は、また写真を撮った。

私(現在):「見た」
私(過去):「それで十分。今は」

 腹立たしいほど、優しい言い方だった。
 まるで、先回りして私を撫でるみたいに。

 金曜の夜。
 私はつい、送ってしまった。

「正直に言って。あのとき、何があった?」

 返事は、少し遅れた。

「君は、帰り道で立ち止まった。
 閉店する古い店の前で、シャッターを見ていた。
 終わる音を聞いて、始まりは無音だって思った。」

 胸が、静かに鳴った。
 思い出した。
 その夜、私は日記に一行だけ書いたのだ。

——やめる理由より、続ける理由の方が、今日は小さい。

 土曜の朝。
 通知。

「やめてもいい、は真実。
 でも、今じゃない。」

 私は返した。

「いつ?」
「決めなくていい。
 決めないで進め。」

 窓を開ける。
 風が、机の紙を揺らした。
 掲示の写真が、画面に残っている。

 日曜の夜。
 私は、最後に打った。

「ありがとう。続ける」

 すぐに、既読がついた。
 でも、返信は来なかった。

 タイムラインの最下段に、灰色の表示が出る。

《この日付への送信は終了しました》

 私は端末を伏せ、深呼吸する。
 過去は、もう返事をくれない。
 それでいい。

 未読のまま、進め。
 一年前の自分が、そう言っている。

 私は明日のアラームをセットし、灯りを消した。
 始まりは、たいてい無音だ。

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