影に潜む者

ミステリー

#ジャンル:ミステリー
#トーン:ダーク
#登場人物:画家

古都アルヴェルは霧の街だった。薄暗い路地が入り組み、街灯に照らされた影が揺れるたび、人々は噂を囁いた。「影が動く」と。

画家を目指していた青年レオは、その噂を半ば信じ、半ば笑っていた。だが、彼自身がその「動く影」を目撃したとき、笑いは霧の中へと消えた。ある夜、路地を歩いていると、影が自分の足元から音もなく動き出し、廃墟と化した美術館の方へ滑るように進んでいったのだ。

レオはその影を追った。廃墟となった美術館は、かつて町の誇りだったが、十年前に火災に遭い、今では誰も近づかない場所だった。鉄錆びた門を押し開けると、冷たい空気が彼を迎え入れた。月明かりが差し込むホールには、焦げ跡の残る壁と崩れかけた階段があり、かつての栄光を物語る巨大なシャンデリアが歪んでぶら下がっていた。

影はその中を静かに進み、彼を誘うように奥の展示室へと消えた。

「誰かいるのか?」レオが声をかけると、遠くから微かに笑い声が響いた。寒気を覚えながらも、彼は影を追い、展示室の扉を押し開けた。そこには、無傷で残された絵画が壁一面に掛けられていた。火災の痕跡はどこにもなく、むしろそれらはまるで描きたてのように鮮やかだった。

特に目を引いたのは、中央に掛けられた一枚の絵だった。画面の中に佇む一人の女性が、まるでこちらを見つめているかのようだった。目の前に立ったレオは、不意に気づいた。彼女の瞳が動いたのだ。

「美しいと思うか?」背後から声がした。振り返ると、黒いローブを纏った男が立っていた。その顔は影に隠されて見えない。

「誰だ?」レオは問いかけた。

「この絵の作者だよ。そして、お前の父親でもある」

レオは息を呑んだ。父は彼が幼い頃に姿を消し、死んだと聞かされていた。しかし、目の前の男は間違いなく父の声だった。

「なぜこんなところに? そして、この絵は――」

「この絵は魂で描かれているのだよ。火災の夜、私は命を代償にして、絵画を生かした。そして今、私もまた絵の一部となった」

男の声は低く響き、空気が重くなった。「お前にも選択の時が来る。絵を完成させたいのなら、お前自身の影を捧げるのだ」

レオは絵と父を見つめた。動く影、燃え尽きることのない絵画、それら全ての真実が目の前にあった。そして彼の中で、絵を完成させたいという欲望と、恐怖がせめぎ合った。

「俺にはできない」

そう告げた瞬間、父の姿が霧散し、絵画が一斉に暗くなった。影はレオを包み込み、美術館全体が再び静寂に沈んだ。彼はふらつきながら外に出たが、影の一部が自分を離れて美術館の中へ戻るのを見た。

そして、彼の心には確信が残った。影は再び動き始める――次の画家を探して。