#ジャンル:恋愛
#トーン:癒し系
#登場人物:青年
海辺の街は、冬の訪れを感じさせる冷たい風に包まれていた。その日、波音が響く小さなカフェ「シーサイド・ブリーズ」に、一人の青年がふらりと立ち寄った。彼の名前は大樹。都会の喧騒から逃れるようにこの街にやってきたのだ。
店内には、わずかに焙煎されたコーヒーの香りが漂っている。大樹は窓際の席に腰を下ろし、ぼんやりと沖へ続く水平線を眺めた。
「ご注文はお決まりですか?」
柔らかな声に顔を上げると、ウェイトレスが立っていた。名前は沙羅。長い髪が後ろで一つに束ねられ、その瞳にはどこか物憂げな色が宿っていた。
「ホットコーヒーをお願いします。」
大樹が答えると、沙羅は一礼し、カウンターに戻っていった。その背中を見送りながら、彼はなぜか目を離せなかった。
コーヒーが運ばれてきた後も、大樹は何もせず海を眺め続けた。それが気になったのか、沙羅が近づいてきた。
「……観光ですか?」
「ええ、まあ。」大樹は曖昧に答えた。「しばらく休みが取れたので、ふらっと。」
沙羅は少しだけ微笑んだ。「この時期に来る人は少ないんです。でも、冬の海は静かでいいですよね。」
それが、二人の最初の会話だった。
翌日も、大樹はカフェを訪れた。その次の日も。そのたびに沙羅が話しかけ、二人は少しずつお互いのことを話すようになった。
「都会で働いていたんですか?」
「ええ。でも疲れちゃって。」大樹は苦笑いを浮かべた。「やることが多すぎて、自分が何のために働いているのか分からなくなってしまった。」
沙羅は静かに頷いた。「分かる気がします。私も昔は東京で暮らしていました。」
「そうなんですか?」
「でも、家族の事情でこっちに戻ってきたんです。」彼女の声はどこか影を帯びていた。
沙羅には、背負ってきた何かがある――そう感じた大樹は、それ以上深く尋ねなかった。
ある日、沙羅がぽつりと呟いた。
「このカフェにいると、少しだけ忘れられるんです。失敗したこととか、過去のこととか。」
大樹は黙って頷いた。彼もまた、この場所で少しずつ心が軽くなっているのを感じていたからだ。
風の冷たさが和らぎ始めたころ、二人は自然と隣の席に座るようになっていた。
「大樹さんは、ここに来てから何か見つけられましたか?」
「見つけたかもしれません。」彼は窓の外の海を見ながら言った。「大事なものを取り戻す感覚かな。沙羅さんのおかげで。」
沙羅は驚いたように目を見開き、それから静かに笑った。「そんなこと、私は何もしていないですよ。」
「いや、ここで話せたこと、全部意味があったと思うんです。」
二人の間に穏やかな沈黙が訪れた。遠くで波が打ち寄せる音が、静かに響く。
季節はもうすぐ春になる。海辺の風も、少しずつ温かみを増していく。二人がまたカフェで向かい合っている姿が、いつまでもこの小さな街の記憶に残るのだろう。