#ジャンル:ミステリー
#トーン:不思議な
#登場人物:駅員
駅の落とし物預かり所で働く西村修一は、毎日同じような品々を整理していた。忘れられた傘、落とされた財布、片方だけの手袋。どれも、誰かの不注意でここへたどり着き、そして多くは持ち主に戻らないまま消えていく。
そんなある日、不思議な落とし物が届いた。
それは、一本の古びた鍵だった。
駅のホームで拾われたらしいが、落とし主の手がかりは何もない。名前も連絡先もなく、どのロッカーにも合わない。鍵の表面には擦り減った文字が刻まれていたが、かろうじて読めるのは「302」という数字だけだった。
「302号室の鍵……でも、どこの?」
普通ならそのまま倉庫に保管しておくところだが、修一はなぜか気になった。手のひらに乗せると、不思議なほどしっくりと馴染む。まるで、以前どこかで触れたことがあるかのように——。
◆
落とし物には、それを持っていた人間の記憶が染み込むことがある。
昔、修一の先輩がそう言っていた。迷子のぬいぐるみを撫でると、その持ち主の少女の泣き顔が浮かぶことがある、と。
——この鍵にも、何かが宿っているのだろうか。
そう思った瞬間、視界の端に一瞬だけ何かが映った。
古びたアパートの階段。雨に濡れた廊下。鍵穴に差し込まれる鍵——。
修一は、息を呑んだ。これは……記憶?
◆
手がかりを頼りに、修一は「302号室」を探し始めた。
地図で近隣の古いアパートを調べ、ようやく見つけたのは、駅から歩いて15分ほどの場所にある「東雲荘」。築50年を超える木造アパートで、ほとんどの部屋が空き家だった。
302号室の前に立つと、記憶の中で見た光景とまったく同じだった。鍵をそっと差し込む。
——カチリ。
音もなく扉が開いた。
◆
室内は、まるで時が止まったようだった。
机の上には色褪せた写真。カレンダーは何年も前の日付で止まり、本棚には埃をかぶった本が並んでいる。
その時、不意に視界が歪んだ。
——古い記憶が、押し寄せる。
子供の頃、この部屋に住んでいた。母と二人、狭いながらも温かい場所だった。だが、ある日、母は修一を置いて突然いなくなった。
鍵は、母が最後に残したものだった。
なぜ忘れていたのか。なぜ、この記憶が封じられていたのか。
気づけば、修一はそっと鍵を握りしめていた。
落とし物には、記憶が宿る。
この鍵は、過去の自分が「落とした記憶」だったのだ。
◆
翌日、修一は鍵をそっとポケットにしまった。
落とし物預かり所の仕事は続く。だが、もう一つだけ、届けなければならないものができた。
それは、ずっと閉ざしていた自分自身の記憶だった。
駅には今日も、新しい落とし物が運ばれてくる。