#ジャンル:ドラマ
#トーン:切ない
#登場人物:青年
陽菜は部屋の真ん中に座り込み、山積みになった段ボール箱を見つめていた。
「これが全部片付いたら、もうここには戻らないんだな……」
結婚を機に、この町を離れることになった。十年以上暮らしたこのアパートの狭い一室には、彼女の青春と人生の断片が詰まっている。
テープを剥がし、一つずつ箱を開けていく。
小学校の卒業アルバムを見つけると、ページをめくりながら懐かしい顔ぶれを辿る。大好きだった給食、運動会で転んだ日のこと──笑いながら、気がつけば涙が滲んでいた。
次に出てきたのは、初恋の手紙だった。折り畳まれた便箋の隅には、かつて彼女をドキドキさせた文字が並んでいる。中学生の頃、片想いしていた相手からもらったものだ。結局、彼に想いを伝えることはできなかったけれど、この手紙はずっと大事にしていた。
そして、そっと手に取ったのは、亡き祖父がくれた古びた懐中時計。
「陽菜、大事なものはいつも心の中にあるんだよ」
祖父の言葉が蘇る。時計はもう動かないが、これは彼女の人生において最も大切な宝物の一つだった。
陽菜はそれらを一つの箱にまとめ、「思い出」と書いたラベルを貼った。
***
引っ越し当日、陽菜はトラックの荷台を見上げながら、大きく息をついた。新居は、今とは違う街の新しいマンション。ここを離れる寂しさを噛みしめつつも、新たな生活への期待もあった。
トラックが出発し、彼女も夫の運転する車に乗り込む。
しかし、新居に着いて荷物を確認していると、あるべきものがないことに気づいた。
「……『思い出』の箱が、ない?」
焦って車内を探すが、どこにもない。夫に聞いても、積み込んだ記憶がないという。
トラックの運転手に電話をすると、彼は申し訳なさそうに言った。
「積み残しがあったかもしれません。途中のサービスエリアで一度点検しましたが、そのときに落ちた可能性も……」
胸がざわつく。
陽菜は急いで来た道を戻った。途中のサービスエリアに寄り、管理事務所で尋ねるが、箱は届いていないという。駐車場を歩き回り、ゴミ箱の中まで探したが、どこにもない。
夜になり、肩を落として新居へ戻る。
あの箱の中には、彼女の人生のかけらが詰まっていた。もう二度と取り戻せないかもしれない。
「……どうしよう」
ふと、祖父の言葉が頭をよぎる。
──「大事なものはいつも心の中にあるんだよ」
陽菜は静かに目を閉じた。
確かに、箱の中身は貴重なものだった。けれど、思い出そのものは、決して失われるわけではない。
卒業アルバムをめくったときに感じた懐かしさ。初恋の手紙を読んだときの胸の高鳴り。祖父の時計を手にしたときの温かさ。
それらはすべて、彼女の心の中に生き続けている。
大切なのは、形ではなく、記憶なのかもしれない。
そう思うと、不思議と心が軽くなった。
「さよなら、私の大事な箱……でも、ありがとう」
陽菜はそっと微笑み、新しい生活へと一歩を踏み出した。