#ジャンル:SF
#トーン:爽快
#登場人物:フリーター
「1時間5000円でヒーローになれます」
そんな怪しげな広告を見つけたのは、駅前の掲示板だった。
「……なんだよ、これ」
大学を出たばかりで定職にもつかず、バイトを転々としていたタカシは、暇つぶしのつもりでスマホからQRコードを読み込んだ。表示されたのは、簡素な申し込みフォームと、いくつかの注意事項。
・スーツは無料レンタル
・特別な力はありません
・依頼内容は自由
——冗談みたいな話だ。でも、たった5000円で“ヒーロー”になれるなら、試してみる価値はある。そう思った。
1時間目: ヒーロースーツと人々の視線
翌日、指定されたビルの一室を訪れると、そこには赤と黒を基調としたスーツが用意されていた。思ったより本格的で、鏡の前でポーズを決めると、なかなかサマになっている気がする。
スタッフが説明したのはただ一つ。
「ヒーローは、自分がそう思った瞬間からヒーローです」
スーツを着たタカシは、街に出た。
すると——明らかに周囲の目が違う。
「おい、あれ見ろよ」
「なんか……ヒーローっぽくない?」
道行く人々の視線を集める。子どもが「あっ!」と指をさし、カップルがクスクスと笑いながら通り過ぎていく。
(……すげえ、意外と悪くない)
調子に乗ってゆっくり歩くと、不意に声をかけられた。
「あの……すみません」
振り向くと、30代くらいの女性が不安そうに立っていた。
「実は、さっきから変な男につけられていて……」
(……マジかよ)
まさか本当に頼られるとは思わなかった。だが、スーツを着ている以上、ここで引くわけにはいかない。
「大丈夫です、俺がついてますから」
自分で言って、ちょっと気恥ずかしくなる。でも、女性の顔が安心したように和らいだのを見て、悪い気はしなかった。
しばらく一緒に歩き、彼女の家の近くまで来ると、後ろをつけていた男はどこかへ消えていた。
「本当にありがとうございました、ヒーローさん」
そう言われた瞬間、タカシの胸にふわりと温かいものが広がった。
2時間目: 借り物のヒーロー
その後も、老人の荷物を運んだり、道に迷った外国人を案内したりと、タカシは“ヒーローらしい”ことを続けた。
だが、レンタル時間が残りわずかになったとき、ふと冷静になった。
(……俺、スーツを脱いだら、ただのフリーターなんだよな)
この1時間、ヒーローとしての“役割”を与えられたから、それらしい行動をしてきた。でも、それは本当に自分がやりたかったことなのか?
(……結局、俺は借り物のヒーローに過ぎない)
ふと虚しさがこみ上げてくる。
最後の1時間: 真のヒーロー
タカシがビルに戻ろうとしたときだった。
目の前の交差点で、自転車に乗った小学生がバランスを崩し、道路に飛び出した。
その瞬間、トラックのクラクションが響いた。
——考えるより先に、タカシは走り出していた。
「危ない!」
全力で小学生を抱え、歩道に転がる。次の瞬間、トラックが目前を通過し、甲高いブレーキ音が響いた。
息が切れる。手が震える。
「……あ、ありがとう、お兄ちゃん」
小学生の顔を見て、初めて自分が何をしたのかを理解した。
(今のは……スーツを着てるとか関係なく、俺自身の判断で動いたんだ)
タカシは、ゆっくりと立ち上がった。
遠くで拍手が聞こえた。誰かが「ヒーローだ……」と呟いた。
その言葉が、今度は真っ直ぐ胸に響いた。
——もう、借り物のヒーローじゃない。
スーツのレンタル時間は終わった。でも、タカシは確かに“自分”の意志でヒーローになれたのだ。
帰り道、彼はもう一度、駅前の掲示板を見上げた。
「1時間5000円でヒーローになれます」
その言葉の意味を、彼はもう知っていた。