#ジャンル:ドラマ
#トーン:切ない
#登場人物:父
リビングには静寂だけが満ちていた。テレビはついているが、誰も見ていない。父は黙って新聞を広げ、娘の美咲はスマホをいじりながら、心ここにあらず。母が亡くなって三年、会話は必要最低限、空気のような時間が二人の間を流れていた。
「明日、ばあちゃんの家、行くぞ」
突然の父の言葉に、美咲は顔を上げた。祖母が亡くなったのは数日前。遺品整理のために訪れるのは当然だが、父と二人きりで行動するのは、何年ぶりだろうか。
祖母の家は、かつての家族の記憶が色濃く残る場所だった。埃をかぶったアルバム、黄ばんだカーテン、母が編んだ座布団。片付けの合間、美咲はふと、昔の写真に目をとめた。そこには、若い両親と小さな自分が写っていた。
「これ、覚えてる?」
父は無言で写真を覗き込んだ。微かに笑みがこぼれる。
「おまえ、よく泣いてたな。このときも、海が怖いって……」
その言葉に、美咲ははっとした。無口だと思っていた父が、こんなふうに話すのは久しぶりだった。母がいた頃は、確かに父もよく笑っていた。あの背中に、よくしがみついていた。
遺品の中に、小さな手紙の束があった。母が生前、父に宛てたものだった。筆跡の柔らかさに、母の声が蘇る。父は静かにそれを読み、美咲に言った。
「おまえに読ませるのは、まだ早いかもな。でも、いつか……」
その背中は、かつてより小さく見えた。でも、確かにあの頃の強さが残っていた。帰り道、美咲はふとつぶやいた。
「パパって、意外としゃべるんだね」
父は少し照れたように笑った。
「おまえが、聞こうとしなかっただけだ」
沈黙の中に、言葉以上のものが流れた。美咲は、あの背中にもう一度手を伸ばしたくなった。
その夜、家に戻った美咲は、昔のアルバムを一人で開いた。ページの中の父はいつも背を向けていた。でも今なら、その背中が、何を守ろうとしていたのか、少しだけ分かる気がした。