#ジャンル:ファンタジー
#トーン:切ない
#登場人物:少女
夜の帳が静かに降りるころ、結は毎晩、夢見坂を下る。制服のスカートがふわりと揺れるたび、心が少しだけ軽くなるのは、あの猫に会えるからだ。
黒くて艶やかな毛並み、まっすぐに人の目を見る琥珀色の瞳。その猫は、決まって坂の中ほどに座っている。そして、何も言わずに結を見上げる。
その夜も猫はいた。まるで待っていたように、静かに尻尾を揺らしていた。結がしゃがみ込み、そっと手を伸ばすと、猫は彼女の指先に鼻を寄せた。
ふっと、視界が揺れる。世界が滲み、色が変わる。
そこは、昭和の面影を色濃く残す小さな商店街だった。看板が木製で、通りには古びた電灯がともっている。結はその街を知っていた。小さな頃、祖母に連れられて何度も訪れた場所。だが、もうそこは存在しない。再開発で取り壊されたはずの街が、夢の中では息づいていた。
「お帰り」
振り向けば、そこに祖母がいた。いつものように、割烹着を着て、微笑んでいた。夢の中でだけ会える祖母。結は思わずその胸に飛び込んだ。
「どうして、ここに来られるの?」
「猫のおかげだよ。あの子は境をまたぐ者。結が心の中で求め続けていたから、道を開いてくれたんだね」
そう祖母は言った。夢の時間はいつも短い。目覚めると、猫も、祖母も、街も消えている。でも結は、また会えると知っていた。
けれど、その夜は違った。
猫は坂の途中で振り返り、結を導くように歩き出した。結がその後を追うと、いつもの夢ではなく、坂の上に古びた門が見えた。
「選ばなきゃいけないんだね」
祖母の声が、風に乗って届く。
「ここに残れば、私と一緒にいられる。けれど、現実には戻れなくなる」
結は立ち止まった。猫がこちらを見上げる。琥珀の瞳が問いかける。
結は静かに首を振った。
「ありがとう。でも、私は、まだ向こうで生きていたい」
猫は目を細め、満足そうに喉を鳴らした。
目が覚めたとき、坂の中ほどに猫の姿はなかった。でも、風が優しく髪を撫でた。結は空を見上げ、微笑む。
夢と現実の境はまだ曖昧だけど、歩き出せる。もう迷わない。