#ジャンル:恋愛
#トーン:切ない
#登場人物:大学生
春風が頬を撫でる午後、大学進学のために見知らぬ街に越してきた瑞希は、部屋のカーテンが足りないことに気づいた。歩いてすぐの商店街をうろうろしていると、ふと目に入ったのが、小さな花屋だった。ガラス越しに見えたのは、淡いピンクのラナンキュラスと、その隣で花を整える青年の姿。
「いらっしゃいませ」
控えめな声とともに、青年──蓮が顔を上げた。どこか翳りのある瞳と、指先に宿る優しさ。その雰囲気に瑞希は自然と惹かれた。
「カーテンの代わりに、部屋に飾れる花ってありますか?」
そう尋ねた瑞希に、蓮は少しだけ微笑んで言った。
「ラナンキュラスがいい。光が透ける花びらが、春を運んでくれるから」
それから、瑞希は毎週のように花屋を訪れた。桜が終わればスイートピー、初夏には紫陽花。季節の移ろいを花とともに楽しむ時間が、瑞希の新生活に色を添えていった。そして蓮との会話も、少しずつ深まっていった。
けれど、ある日を境に、蓮の様子が変わった。
笑わなくなった。目を合わせようとしなくなった。
気になった瑞希は、ある晩、閉店後の花屋を訪ねた。店内は静かで、灯りも落ちていた。裏手の小さな庭で、蓮はひとりベンチに座っていた。
「ごめん、突然…」
「……いいんだ。来てくれて、ありがとう」
その言葉のあと、蓮はぽつりぽつりと語り出した。昔、交通事故で弟を亡くしたこと。その日も花を届ける途中で、携帯に夢中になっていた自分を責め続けていること。そして、春が来るたび、命日が近づくたびに、心が軋むこと。
「こんな自分が、人に優しくするなんて、きっと間違ってる」
瑞希は、何も言えなかった。ただそっと、彼の隣に腰を下ろして、小さく囁いた。
「でもね、蓮さんがくれた花たちは、私の毎日を少しずつ明るくしてくれた。だから、間違いなんかじゃない」
その瞬間、蓮の肩がふるりと揺れた。こぼれ落ちた涙は、夜風に溶けていった。
それからの日々、ふたりはゆっくりと歩み寄った。瑞希は蓮の心の傷を急がず、ただ隣で咲く花のように寄り添った。
桜が再び街を染めるころ、蓮は瑞希に、白いラナンキュラスの花束を差し出した。
「君と出会って、春が怖くなくなった。ありがとう」
瑞希は頷きながら、花束を胸に抱きしめた。風がやわらかく吹いていた。
それは、ふたりだけの春が、確かに咲いた瞬間だった。