#ジャンル:ファンタジー
#トーン:感動的
#登場人物:王子
目を覚ますと、そこは一面の花畑だった。
王子エルは、旅の途中で馬を失い、森の中で迷っていたはずだった。だが目の前に広がるのは、空の彼方まで続く色彩の海。風に揺れる花々が、まるでささやくように揺れている。
「ようこそ、花の国へ」
声がした。目を凝らすと、足元のチューリップがふいに開き、まるで人のように言葉を紡いでいた。
「花が……話している?」
驚くエルに、花たちは次々と自己紹介を始めた。ラベンダーの賢者、ひまわりの門番、朝顔の歌い手たち。花々は皆、かつてこの国に生きた人々の記憶から生まれた精霊だという。
だが、花の国には重い沈黙があった。
「この国は今、“春”のまま、止まっているのです」
そう語ったのは、丘の上に咲く一本の桜だった。かつて、四季が巡る豊かな国だった花の国は、ある日「季節を止めた魔女」の呪いを受けた。以来、花は咲き続けるが、実を結ばず、命が循環しなくなってしまったのだ。
「王子よ、あなたは“巡り”の国から来た。ならば、季節を動かす鍵を見つけられるかもしれません」
そう言って、桜は一枚の花びらを差し出した。それは、まだ咲いていない、つぼみのように閉じた白い花だった。
「『終わりの花』を見つけて。この国に“冬”を連れてきてくれれば、春は再び芽吹く」
それがエルの旅の始まりだった。
花の国を巡る旅路は、美しさと危うさに満ちていた。風の谷では笑い声をあげるコスモスたちに導かれ、霧の森では忘却のケシの誘惑に打ち勝ち、毒の花園では嘆きに咲くバラの群れを抜けた。
旅の途中、エルは“花の記憶”に触れることになる。咲いては散った命、叶わなかった願い、語られなかった恋。花々はそれぞれに物語を宿していた。そして、王子自身の中にもまた、ひとつの忘れられた記憶があった。
――幼き日に見た、冬の庭。母が残した白い花の鉢植え。凍てついた土の上に、それだけが咲いていた。
「その花の名は……」
最果ての雪原に辿り着いたエルは、ようやく「終わりの花」の姿を見つけた。それは、氷の下で静かに咲いていた小さな白い花。
「スノードロップ……“再生”の花」
エルが花を摘むと、世界に静かな震えが走った。
空が曇り、風が冷たくなった。花の国に、千年ぶりの“冬”が訪れたのだ。花々は一斉に眠りにつき、地に還っていく。だがその顔は、どこか安らかだった。
王子が国に戻ると、魔女が待っていた。
「なぜ、冬を受け入れたのか?」
エルはまっすぐに答えた。
「春だけでは命は巡らない。終わりがあるからこそ、始まりが生まれる」
魔女は静かに笑い、やがてその姿を雪に溶かすように消えていった。
そして、春の花々が再び芽吹いたとき、花の国にはかつてなかった“季節”の音が流れていた。夏の蝉しぐれ、秋の落ち葉、冬の静寂――すべての巡りが、美しく響いていた。
旅を終えた王子エルは、もう一度だけあの桜の丘に立った。
「ありがとう。君の勇気が、私たちに四季を取り戻してくれた」
桜はそう言い、ひとひらの花びらを風に乗せた。
王子の胸に、その花が静かに舞い落ちた。