#ジャンル:ミステリー
#トーン:不思議
#登場人物:調査員
昼間の熱気がまだ残る砂の上に、それはあった。
調査隊が砂漠の南端に設営したキャンプから少し離れた場所。風の通り道のはずの砂丘に、一直線に伸びる“足跡”が浮かんでいた。左右均等、やや深めのくぼみ。問題は、その足跡が“片道”しか存在しないことだった。
「戻ってきた形跡がない……しかも、風の痕跡もないってどういうこと?」
隊員の一人、サクラは双眼鏡を覗き込みながら眉をひそめた。彼女は考古学専門の調査員としてこの調査隊に加わっていたが、現地のガイドすら「幻だ」と口を閉ざすこの現象に、興味を隠せなかった。
足跡は夜に現れ、翌朝には消える。
それを三晩繰り返したのち、サクラは単独で調査に出る決心をする。満月が砂丘を淡く照らす深夜、彼女は足跡の先を追った。
風も音もない砂漠の静寂の中、ふいに“それ”は聞こえた。
「戻ってはならぬ」
低く、響くような声。耳元というより、頭の奥に直接届くような感覚だった。サクラは足を止めたが、好奇心が恐怖を上回った。
「あなたは……誰?」
返答はなかった。ただ、足跡の先の地面がほんのわずかに震えたように見えた。彼女はライトを落とし、素手で砂を掘り始めた。
数分後、指先が冷たい石に触れた。
「……人工物?」
さらに掘り進めると、そこには古代の石板が埋もれていた。無数の象形文字と、中心に大きく刻まれた「眼」の紋章。サクラはすぐに察した。これは、文献にのみ記録されていた“シャル=ナト”――かつて存在したとされる幻の古代都市の印章だった。
突如、地面が崩れ、彼女の身体は下方へと引き込まれた。
目を覚ますと、そこは砂の下に広がる巨大な空洞。崩れた石柱、装飾された壁、そして中央に佇む人影。
「誰……?」
その人物は、背を向けたまま、ゆっくりと振り返った。だが、顔はなかった。黒いヴェールのような影が揺らめき、そこから声が発された。
「我はシャル=ナトの番人。時を越えて、ここを守る者」
彼は言う。都市は数千年前、永遠の命を求めた王によって封印された。その代償として、時の狭間に落ち、誰の記憶からも消された。だが今、地上の風が変わり、忘れられた“記憶”が再び目覚めようとしているのだと。
「なぜ、私に見せたの?」
「お前が“過去を知る者”だから。だが、知ることと触れることは違う。戻れば、お前の時間もまた揺らぐ」
サクラは悩んだ。だが、手帳に記録された象形文字の一部と、この都市の存在証明は、世界の歴史を塗り替える発見だった。
「記憶にとどめます。触れず、壊さず、伝えます」
その答えに、影の番人は頷いた。すると空洞の壁が光を放ち、出口が開いた。
サクラが目を覚ましたのは、キャンプの自室だった。
夢か、幻か。だが、手帳には確かに、砂の中で写し取った象形文字と、石板の拓本が残っていた。
足跡は、その夜を最後に現れなかった。
数週間後、調査報告書の末尾に、彼女はこう記した。
『時の影は、砂に沈んでも消えはしない。』
そう記す彼女の瞳には、砂漠の朝日が射していた。