【短編小説】合格発表のあとで

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冬の朝は、図書室の窓ガラスがうっすらと曇っていた。

高校三年の優斗は、受験勉強のために、ほぼ毎朝開館と同時に図書室へ向かった。お気に入りの席は、窓際の左端。日が当たりすぎず、静かで、集中しやすい場所。

けれど、ある日その席には先客がいた。

肩までの黒髪をうつむきに揺らしながら、分厚い参考書を開いている女子生徒。名前は知らなかったが、どこかで見かけたことはある気がした。

彼女の存在が、最初はただの障害物に思えた。だが、翌日も、そのまた翌日も、同じように同じ席に座って黙々と勉強している彼女を見ているうちに、優斗はいつしかその姿に惹かれはじめていた。

ある日、ふとしたきっかけで、彼女が消しゴムを落とした。

「どうぞ」

拾って手渡すと、初めて顔が上がった。細く整った眉に、少し緊張した表情。そして、控えめな声。

「ありがとう。……志帆です」

その名前が、優斗の中に静かに響いた。

それから二人は、言葉を交わすようになった。といっても、勉強の合間に交わされるのは、ほんの一言二言。おすすめの単語帳、数学の公式、眠気との戦い方。だが、それが心地よかった。

志帆は国立大の教育学部を目指していると言った。

「先生になりたくて。でも……ちょっと、迷ってる」

「なんで?」

「うち、母子家庭でさ。母は“公務員で安定してほしい”って。でも、本当は美術系の道にも惹かれてて……昔から絵を描くのが好きだったの」

そのとき、彼女が取り出したスケッチブックに描かれていたのは、図書室の風景だった。優斗と志帆が向かい合って座る姿も、そこにあった。

「……俺、初めてかも。こんなに綺麗に描かれたの」

優斗は照れ笑いしながら言った。志帆は少し顔を赤らめて、本を開き直した。

それからも、二人は同じ席に通い続けた。

そして、ついに迎えた合格発表の日。

朝から曇り空。校門をくぐるとき、優斗の心は今までにないほど高鳴っていた。

掲示板の前。人だかりの中、優斗は自分の番号を探す。

あった。

「あ……った」

目を見開いたまま立ち尽くすと、肩を叩かれた。

振り向くと、志帆がいた。

「おめでとう、優斗くん」

「……志帆は?」

彼女は少し微笑んで、首を振った。

「やめた。受けなかったの。……美大、行くことにしたんだ」

「え……」

「合格してたら、言えなかった気がする。でも、あの日、優斗くんに言ってもらえた。“好きならやればいい”って。あれ、すごく響いたんだ」

彼女の目は、どこかすっきりしていた。

「ここまで頑張ったから、きっと、どこへでも行ける気がする」

風が吹き、掲示板の紙が揺れた。

「また、会えるかな」

志帆の言葉に、優斗は真っすぐに頷いた。

「絶対、会おう。また、どっかで」

その日、図書室の席は空いていた。

だが、心の中には、彼女のスケッチと、あの朝の言葉が静かに残っていた。

未来は別々の場所から始まる。

でも、同じ空の下で、同じ春を迎えている。

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