春のはじめ、山村の風はまだ冷たかった。
過疎化が進み、人影もまばらなこの村で、浩一はただひとり畑を耕し続けていた。かつては祖父と共に働いた土。祖父が亡くなってから二年、誰も戻らない村で彼だけが“土”に残る意味を信じていた。
ある日、古びた納屋の棚を整理していると、一冊の手帳が出てきた。土で汚れた革表紙には、祖父の名前が刻まれている。
ぱらぱらとページをめくると、最後の方に、こう書かれていた。
「土には、記憶が宿る。耳ではなく、心で聞け」
浩一はその一文に目を留めた。
思い返せば、祖父はよく畑に手を当てていた。言葉では説明せず、「土が教えてくれる」とだけ言って笑った。子どもの頃は、それがただの比喩だと思っていた。
だがその日から、浩一は意識的に土に触れるようになった。
種を植える前、収穫の後、何もない時でも、静かに畑の中に手を入れ、目を閉じる。
最初は、何も感じなかった。
だがある日、深く耕した土の奥から、妙な感覚が流れ込んできた。
――ぬくもり。ざわめき。人の声。笑い声。泣き声。
映像ではなく、音でもない。ただ心に“流れ込んでくる何か”。
それは、祖父が若かった頃の風景。村の人々が一緒に田植えをする声、子どもたちの駆ける足音、誰かの恋のはじまりと終わり――
「……これが、“土の記憶”……?」
浩一は確信した。この畑は、祖父だけのものではない。世代を超えて、人の営みと想いを抱き続けてきた“器”なのだ。
そのうち、浩一はもう一つの感覚を得るようになった。
土が「求めるもの」がわかる。
この場所には、今、何が必要か。水か、養分か、あるいは別の作物か。まるで土自身が言葉を持っているかのように。
祖父が最後に育てようとしていた作物が、手帳に記されていた。
それは“かたみ菜”という、村にしか残っていない在来種の葉野菜だった。栄養価が高く、寒さに強いが、育てるのが難しくて、今では誰も作っていなかった。
「土が、これを望んでる気がする」
浩一は、その種を見つけ出し、畑の一角に植えることにした。
最初の一週間は何の反応もなかった。
だが、ある雨の日。芽がひょっこりと顔を出した。小さく、震えるように。
それを見て、村のひとり暮らしの老婦人が畑にやって来た。
「……それ、かたみ菜じゃないかい? 懐かしいねぇ。昔は、村の春祭りにこれでおひたし作ってね」
それを皮切りに、かつて村を出ていた若者たちが、SNSでの投稿をきっかけにぽつぽつと帰ってきた。
「もう一度、この畑でなにかを始めたい」
「子どもに、土の手触りを伝えたくて」
いつのまにか、かたみ菜の畑には人が集まるようになった。
秋。たわわに実ったかたみ菜は、村の人々の食卓を彩っただけでなく、地域のマルシェで“幻の野菜”として注目を集めるようになった。
テレビの取材が来て、浩一はこう答えた。
「特別なことはしてません。ただ、土の声に耳をすませただけです」
それを聞いた祖母は、静かにうなずいた。
「ようやく、おじいちゃんに似てきたね」
ある朝、浩一は畑の中央に立ち、静かに手を土に置いた。
目を閉じると、どこかで聞いた声がした。
――よく、やったな。
土が暖かく、深く息をしていた。