夜空を見上げるたび、リクトは妹の咲のことを思い出す。
彼女は、生まれつき体が弱かった。病院のベッドで過ごす日々の中でも、咲はいつも空を見ていた。「流れ星を見たら、お願いするの」と笑って。だが、流れ星はそう簡単には現れないし、願いはなかなか叶わない。
ある日、祖父が語ってくれた。
「この山奥にはな、幻の滝ってのがある。“流れ星の滝”って呼ばれてる。そこに祈れば、たったひとつだけ、願いが叶うって言われてるんだ」
「ほんとに……?」
「昔からの言い伝えさ。でも、誰もたどり着いたことがないとも言われてる」
リクトの胸に、なにかが灯った。
それから数日後、両親には「友達の家に泊まる」とだけ言い残し、リクトは小さなリュックを背負って山へ向かった。地図には載っていない山道。祖父の話と地元の古い本だけを頼りに、彼は歩き続けた。
雨が降り、足を滑らせ、道に迷いながらも、リクトは進んだ。
「咲の願いを、叶えたいんだ」
その一心で。
そして三日目の夜。谷を越えたその先に、彼はそれを見た。
闇の中、静かに光を放つ滝――それは水ではなく、星の粒が流れ落ちているように見えた。音もなく、きらめきだけが風に乗って舞う。
「ここが……流れ星の滝……?」
近づくと、滝壺のそばに、人影のようなものが立っていた。
透明な光をまとい、性別も年齢もわからない存在。それは“星の精霊”だった。
「よく来たね。純粋な願いを持つ者だけが、ここに辿り着ける」
声は、直接心に響いた。
「お願いがあります。妹の咲を、元気にしてください」
リクトは真っ直ぐに言った。手を合わせ、頭を下げた。
精霊はしばらく黙って、滝のほうを見た。
「この滝は、現世と星の界をつなぐ場所。ひとつだけ願いを叶える代わりに、等しい何かを差し出さなければならない」
「……等しい何か?」
「君の“未来”。君が持つ時間の一部。それを“分け合う”ことになる」
リクトは目を見開いた。自分の未来を、咲のために渡す。けれど、迷いはなかった。
「いいです。あの子が生きて、空を見上げられるなら」
静かに頷いた精霊が、手をかざすと、滝の光が大きく渦を巻いた。
「君の願い、確かに受け取った。これより、星の記憶がひとつ書き換えられる」
リクトの身体がふわりと浮き、光に包まれた。
気がつくと、彼は病院の廊下に立っていた。服は泥だらけで、靴もびしょぬれだったが、不思議と身体は軽かった。
急いで咲の病室に駆け込むと、彼女はベッドの上で笑っていた。
「お兄ちゃん、見て! 今日、初めて自分で起き上がれたの!」
医師は「奇跡」と言った。だが、リクトには理由がわかっていた。
その夜、病院の窓から空を見上げると、一筋の流れ星が夜空を横切った。
「ありがとう、滝の精霊さん」
心の中でそう呟いたとき、ふとリクトの腕にある小さな痣に気づいた。星のような形をしていた。
それはきっと、分け与えた“未来”の印。
だが、後悔はなかった。
咲の笑顔が、何よりの答えだったから。