朝六時の空は、まだ鈍く灰色に濁っていた。
都市再開発の中心部、建設中の超高層ビルの現場では、すでにクレーンが唸り、鉄骨が空を切っていた。その足元、ヘルメットと作業着に身を包んだ青年が、深呼吸ひとつして足を踏み出す。
ユウト、十九歳。高校を卒業してすぐ、亡き父が働いていたこの現場に入った。
父は鳶職人だった。無口で、頑固で、口では何も言わなかったが、いつも家に帰ると手が土のような匂いをしていた。
「父さんみたいに、何かを“つくる”人間になりたくて」
それが、ユウトがこの世界に足を踏み入れた理由だった。
だが、現場は想像よりもずっと過酷だった。
朝から晩まで鳴り響く重機の音、鉄の匂い、汗の滲む作業着。何より、職人たちの間に漂う無言のルールと厳しさ。
「おい新人、手止めんな!」「危ないだろ! 足元見ろ!」
罵声ではない。だが、言葉の奥に込められた厳しさは、日々ユウトの心を削った。
その中で、唯一気さくに話しかけてくれたのが、ベテランの職人・三上だった。
「お前の親父さんとは、ここで一緒に鉄骨組んだもんだよ」
三上はそう言って、缶コーヒーを渡してくれた。
「父のこと、何か覚えてますか?」
「そうだな……寡黙だけど、腕は一流だった。“空をつくる手”だって、よく言われてたよ」
空を、つくる。
その言葉は、ユウトの心に静かに染み込んだ。
ある日、作業中に事故が起きた。資材のバランスが崩れ、鉄骨が倒れかけたのだ。
「危ないっ!」
ユウトは反射的に飛び出し、隣の職人を突き飛ばしてかばった。
幸い、大事には至らなかったが、現場は一時騒然となった。
翌日、現場監督の前で叱責を受けると覚悟していたユウトに、三上がぽんと肩を叩いた。
「お前、やるじゃねえか」
それは、初めて「仲間」として認められた瞬間だった。
それから、職人たちの見る目が少しずつ変わっていった。ユウトの動きに指示が飛び、相談が来るようになった。
「ユウト、お前の継いだ手、悪くないぜ」
三上のその言葉に、ユウトは不意に涙がこみ上げた。
秋が深まり、ビルの骨格が空を裂くようにそびえ立った頃、ユウトは最上階の足場に立っていた。
風が強く、街が豆粒のように見える。
ふと空を仰ぐ。
そのとき、父と同じように空を“つくっている”自分に気づいた。
鉄と鉄を繋ぎ、コンクリートに形を与え、人の手で空を切り取る。
それは、図面には載らない、職人たちの手が織りなす“未来”だった。
完成の日。
高層ビルの影が町を覆い、人々が足を止めてその姿を見上げる。
ユウトは、ヘルメットを外して空を見上げた。
「父さん、ちゃんとつくったよ。俺たちの空を」
そう呟いた声は、風に消えたが、どこかで誰かがそれに応えるような気がした。
空をつくるのは、ただの作業じゃない。
それは、人の想いと手の記憶が積み重なる、静かな奇跡だった。