ある夏の午後、ミナは庭でシャボン玉を吹いていた。
光に透ける泡が空に舞い、風に乗ってくるくると踊る。ひとつ、ふたつ、と数えていくうちに、ミナは目を見張った。
ひときわ大きなシャボン玉が、彼女の目の前にふわりと浮かび上がったのだ。
それは、まるで自分の心を映すかのように静かに輝いていた。ふと泡に手を伸ばした瞬間、世界がふわりと反転した。
風の匂いが変わり、空が下になり、ミナは気がつけば宙を漂っていた。
目の前に広がるのは、泡でできた不思議な都市。建物も橋も、雲のように軽やかで透明な泡で作られていた。
「ここは——どこ?」
「泡の国。ようこそ、迷い子のミナ」
振り返ると、小さなティアラを載せた少女が立っていた。シャボンのように透明な髪と、虹色に揺れる瞳を持つその少女は、自らを「ティア」と名乗った。
「ここはね、願いを込めて吹かれたシャボンが集まる国なの。叶わなかった夢、忘れられた想い、そういうものが泡になって漂っているのよ」
空を見上げると、無数の泡がゆっくりと空に浮かび、消えていく。
「でも最近、泡が壊れやすくなってきたの。願いが弱く、夢が儚くなっている。国は崩れかけているの」
ティアは静かに言った。
「この国を守るには、“本物の願い”が必要なの。強くて、まっすぐで、誰かを想う願い。……あなたは、それを持ってる」
ミナは戸惑いながらも、ティアに導かれて、国の中を巡った。
ある泡には「宇宙飛行士になりたかった少年」の夢が、またある泡には「大切な人と話せなかった後悔」が映っていた。
どの泡も美しく、どこか切なかった。
「私の願いって……なんだろう」
ミナは自分に問いかけた。
その夜、泡の塔の頂上に立ったとき、国の中心にある“大泡”が突然砕けた。
空が歪み、風が乱れ、泡の都市が次々と崩れていく。
「もう、だめなの……?」
ティアがつぶやいたそのとき、ミナは胸の奥から声を上げた。
「お願い! 消えないで、この世界を残して!」
ミナの目に、シャボン玉を追いかけて笑っていた母の姿、友だちと手を取り合って遊んだ日々、そして、大人になっても夢を忘れたくないという思いがよみがえった。
「私、ずっと夢を見ていたい。忘れたくない。だから、この国も残っててほしい!」
その叫びに呼応するように、ミナの胸から光があふれ、ひとつの大きな泡が生まれた。
それは透明で、強く、まるで水晶のようにきらめいていた。
泡は空に浮かび、崩れかけた都市を包み込むように広がった。
そして、すべてが静かになった。
「……ミナの願い、届いたよ」
ティアは涙を浮かべながら笑った。
「ありがとう。あなたの“純粋な願い”が、この国を救ったの」
その言葉と共に、世界がふたたびゆらぎ、ミナの視界は白く染まった。
次に目を開けたとき、彼女は庭に戻っていた。手には、まだあのシャボン玉の道具が握られていた。
だが、空には一つだけ、消えずに浮かぶ泡があった。
ミナは微笑んだ。
「また会える気がする、ティア」
風に吹かれて、その泡はゆっくりと空へ舞い上がっていった。